Fahrenheit -華氏- Ⅲ
この日の午前中も啓とは必要最低限のことしか話さなかった。
お昼になって、あたしは佐々木さんと約束していたランチに出かけることにした。
「どこにします?」と佐々木さんは何故か楽しそうにわくわくと聞いてくる。
「えーっと…」と考えてふとヴァラキエルを思い出す。
慌ててあたしは頭を振った。
あそこは―――あの場所は―――
よく啓と待ち合わせをしいた場所。
二人だけの
秘密の場所。
結局、以前一回だけ佐々木さんと行ったカフェに行くことになった。
バゲットサンドが美味しいと有名なお店。
「いらっしゃいませ~♪」
可愛い女の子が明るい声をあげた。
高校生ぐらいだろうか、ふわふわのポニーテールがよく似合う子。
そこいらのアイドルより可愛らしい砂糖のような女の子。
「ご注文がお決まりでしたらお呼びください」と彼女は砂糖のような笑顔を浮かべてお冷を置いていって去っていった。
「新しい店員さんですかね。前はいなかったですよね」と佐々木さんが女の子が立ち去った方をしげしげと見やる。
カウンターの方で店長とおぼしき男性が手を合わせて
「サクラちゃん、学校の創立記念日なのにわざわざありがとね!助かるワ」と頭を下げている。
サクラ―――名前も可愛い子。
その女の子は「大丈夫です!」と元気に挨拶して、すぐに他の席で客が声を掛け、そちらの方へ向かった。
「柏木さん何にします?」と佐々木さんがメニュー表を手渡してくれて、一通り眺めてからあたしは「エビとアボカドのサンドに」と決めた。
佐々木さんはエビのクリームパスタに決めたようで、店員さんを呼ぼうと手を上げると、今度は違う若い男の子……男の子よね?いや間違いなく男の子なんだけど、こういうの何て言うのかしら『美少年』?こちらも高校生を思わせる子が注文を取りに来た。
彼は伝票にスラスラとメニューを書いて「ご注文は以上で?」と、これまた可愛い笑顔で聞いてくる。
「ええ、お願いします」と言うと
「きれいなおねーさんにはサービスしますよ。エビたっぷりめで」と彼はこそっとあたしに耳打ち。
あたしは驚いて目をぱちぱちさせていると
「カイっ!てめぇ!職場でナンパたぁいい度胸だなぁ、おいっ!」とさっきの可愛い女の子が男の子の耳を引っ張り
「し、失礼しました~」と男の子は耳を引っ張られながらもカウンターに向かって行く。
あたしたちは唖然。
あんなに可愛い女の子の口の悪さにびっくりしたのだ。
しかも妙な迫力……と言うか気迫があるし。
「だぁかぁらぁ!ナンパ違うて!俺はサクラ一筋やってお前が一番知っとるやん」
と男の子は手を合わせ頭を下げてるいる。
関西弁?
「お前の女好きはあたしが一番知ってる!」と女の子は腕を組み、男の子を睨み上げている。
「カップルでアルバイトですかね、何か可愛らしいですね」と佐々木さんはおっとり。
本当に―――
可愛らしい。
あたしもあそこまで素直になれたのなら―――
素直に嫉妬して、素直に怒って、素直に拗ねて
そうしたら
啓との関係も、もっと違った形になったかもしれない。