Fahrenheit -華氏- Ⅲ
就業時間が過ぎてしまったから、新聞を読むことができず、あたしは早速と言った感じでデスクに収まった。
PCを立ち上げ、最初にやること。
メールのチェック。
何通もの取り引き業者の問い合わせのメールに混じって人事部のメールがあった。
“----- Original Message -----
From: 人事部
To: 一斉送信
Sent: Fryday, October 31, 2011 08:45 AM
Subject: 11月1日本社辞令につきまして”
と言うメールに心臓がドキリと波打った。
内容は
“関係者各位
11月1日を持ちまして、下記の社員の異動をご報告いたします”
カーソルをスクロールする為、マウスを握る手に少し汗をかいた。
下に下げて行くと、あたしの名前は記載されていない。
人事部と経理部に若干の異動があったものの、殆ど変わらずまた派手な昇格、降格もないようで、少しばかりほっとした。
ちらりと、啓の方を見やると、啓もこちらを見ていたのか視線が一瞬ぶつかり、けれど彼は慌てて視線を逸らす。
視線を逸らされて、またも心臓が捩じれるように感じた。
けれどその痛みはそう続かなかった。
大量に流れてくるメールの対応、問い合わせ電話の応対、資料を集めPCで数字や説明文を入力したり、あっという間に二時間が経った。
何も考えず無心に仕事をしていると―――いっとき、忘れられる。
あたしと啓は―――必要最低限のやり取りしかしなかった。それも酷くそっけないもの。
その機械的なやり取りは、良い。変な感情を抱かなくていいから。きゅっと苦しくて切なくて悲しい気持ちをいっとき忘れられるから。
あたしと啓は、単なる部下と上司。その関係に戻っただけだ、と思うとちょっと楽になった。
けれど、その平穏も長くは続かなかった。
昼休憩間近、
内線電話が掛かってきた。
『902』と表示がされていて、その数字に
綾子さん―――?
不思議に思いながらも
「はい、外資物流本部、柏木です」と受け取ると
『お疲れ様です、秘書課の木下です。会長がお呼びですが』といつもにも増してかしこまった言葉遣いに、彼女の近くにおじさまが居るのだと気付いた。