Fahrenheit -華氏- Ⅲ
会長室の隣に、同じ様なしつらえの…しかし少し狭い部屋から綾子が顔を出した。
その部屋にも事務デスクがあるし、PCは勿論のこと、コピー兼ファックス機もあるから、ここで仕事もできる。
けれど綾子は“来客”が帰った後、速やかにコーヒーを片付ける為、その扉は常に少しだけ開いている。俺の気配を察したのか
「あら、早かったわね。どうだった?」
「どうだったもクソもねぇよ。怒ってはなかったけど、くどくど説教してきやがった。俺の恋愛事情に」
不機嫌を露わにして腕を組むと
「あらら」と綾子も苦い顔つき。
「まぁ会長も心配だったんじゃない?あんたが独り身でふらふらしてるから」
「親父のご希望通り、俺は結婚してやるよ。ただし相手は
瑠華だ」
瑠華しか考えられない。
「そうでなくっちゃね」
バシッ!
綾子は俺の背中を叩いた。
てか、痛ぇ。
「お前力強いっつうの!」
「つべこべ言わない。そうと決めたなら行動あるのみ」
「そうだな」俺は力なく笑った。
綾子…いつになく頼もしい…
てかアイツ、ホントに女かよ!
綾子がコーヒーを片付ける為、会長室に入っていった。それとほぼ同時に専務室から
瑞野さん
が出てきた。
ピンクの財布一つだけ持って。
瑞野さんはすぐに俺に気が付いて
「お疲れ様です」と頭を下げた。
「お疲れ……」
瑞野さんはどこかへ行くのだろうか。エレベーターホールまで歩み寄ってきて、しかし同じくエレベーターを待っていた俺と瑞野さんは何となく距離を離してエレベーターを待つことになった。
運悪く6機あるエレベーターはどれも1階、2階を彷徨っている。
互いに無言で昇ってくるエレベーターを待ちながら
あぁ、早くエレベーター昇ってこないかな……
キマヅイ…
やがて沈黙に耐えられなくなった俺は
「あのさ」
「あの…」
二人同時に声を発して、俺たちは互いに顔を見やった。
今日初めて瑞野さんと視線が合った。