Fahrenheit -華氏- Ⅲ
「夜分遅くに失礼します」玄関口で挨拶をして、「これ…お好きだと窺っていたので」と都内で割と有名な和菓子メーカーのアソートセットが入った紙袋を手渡すと
「ああ、凛堂の。ここの有名だけど人気過ぎてなかなか手に入らないんだ。私がこの和菓子を好きなこと、そーさんから聞いたのかな、それとも…」
「綾子さんからです」
キッパリと言うと
おじさまは苦笑い。「なるほど、そっちか。流石だな綾子くんは」
「まぁ玄関で立ち話もなんだから入りたまえ」言われるがまま促され、あたしはお気に入りのダイアナの靴を脱いで揃えた。
おじさまはジャケットこそ脱いでいてノーネクタイなものの、ワイシャツにスラックスと言う姿で帰ってきたばかりだ、と言うことを思わせた
が
広くて白い解放的なダイニングテーブルには二人分の料理セット、一人分は言うまでもなくおじさまの分だけれど、もう一人分のお皿は食べ終えたばかりなのか空になっていた。ワイングラスが一つ。
グラスにほんの少し口紅の痕。
「すみません、ご来客中でしたか」
「いや、今帰っていったところだ、大丈夫。瑠華ちゃんは?何か食べてきたかい?」
おじさまがきさくに問いかけてきて「いえ」と短く答えると
「そうかい、ローストビーフとタコのマリネとサラダなら残っているのだが、一杯どうだね」と言われ、あたしは戸惑いながらも頷いた。
「おじさまがお料理を?」
おずおずと聞くと
「まさか、これは家政婦さんが作ってくれた。とは言っても臨時だがね。私もそう家に帰ることがないから。
前は啓人が居て何かと便利だったんだが、独り身になると恥ずかしながら私は何もできなくて」
おじさまは恥ずかしそうに「ははっ」と笑った。
あたしは微笑を返した。
「啓のお料理は最高に美味しいですものね」