Fahrenheit -華氏- Ⅲ
マナミさんがあたしの肩を支えるように、後ろに回ってきた。
マグカップはまたも床に転がった。
「柏木補佐!大丈夫ですかっ!」
またもマナミさんの声が聞こえ―――…けれどその言葉は実際にあたしの耳に入って脳で認識していたのかすら分からない。
シンクのヘリに掴り、胸を強く押さえる。
まるで胸に短剣を突きさせられたように―――痛い。
呼吸が浅く激しくなる。まるで心臓の中で得体の知れない生き物が暴れ回っているみたいで、あたしはそれを制御できないでいる。
「柏木補佐っ……だ、誰か!」
マナミさんが立ち上がって給湯室を飛び出ていくのが見えた。
何で―――…何でそんなに慌てるの?
あたしは何ともない―――
何とも…
やがて誰か見つけたのだろう、
「部長っ!神流部長っ…!柏木補佐がっ!」
部長――――…?
“部長”と言う単語だけを拾うことができた。
けれど
「柏木さんっ!!」
部長―――…
啓
啓はあたしの背中に素早く回り込み、
「大丈夫!?」とあたしの背中を撫でさする。
「どうしてこうなったの!」とマナミさんに聞いてきて
「あ、あたしもよく分からなくて…急に…」とマナミさんは今にも泣きだしそうだった。
マナミさん―――……あなたは何一つ悪くない。あたしを庇ってくれて、あたしのことを心配してくれて―――
けれど思考が追いつかない。
あたしは胸を押さえたまま、息苦しさなの中
「薬……バッグの中……」
とうわごとのように呟いていた。
「薬?」マナミさんが慌てたように聞いてきて、あたしは細かく頷いた。
目がしらに熱い何かがこみあげてくる。
『神流部長と瑞野さんがキス!!?』
『あたしが聞いたのは抱き合ってたって』
『あ、あたしが聞いたのはホテルから出てきたって』
抱き合って、キスを交わし―――ホテルで―――
きゅっと目を閉じると大粒の涙が目がしらに込み上げてきた。
ダメだ…
このひとの前では泣かないって決めたのに―――
でも…
止められない。