Fahrenheit -華氏- Ⅲ
「君っ!俺のブースに行って佐々木から柏木さんのバッグ受け取ってきて!」
啓がマナミさんに指示。
「あ、はい!」マナミさんは弾かれたように立ち上がり、給湯室を立ち去って行った。
「大丈夫!?柏木さん!」
大丈夫―――……
なんかじゃない。
あたしは啓を失って、啓のいない世界でこんなに息苦しく生きることに―――
疲れた。
このまま呼吸困難で死んでしまってもいい。
その方が楽だ。
お願い
「死なせて」
「バカなことを言うなよ!」
啓が一言怒鳴った。
びくり、と肩が揺れる。それぐらいの意識はあった。
「頼むから―――そんなこと
言うなよ。
君なしじゃ、俺は―――
俺こそどうやって生きていけばいい」
どうやって―――……
そんなのあたしには分からない。
「でも……ご丁寧に二村さんがあなたと瑞野さんが“ほしの屋”に居るって教えてくれましたよ」
頬に伝う涙を乱暴に拭いながら啓を睨み上げると
「好きな人ができたのなら、私の稟議書を言い訳にしないで、ハッキリそう仰ればいいじゃないですか」
「……違う」
啓は唇を噛んだ。
何が違うのよ―――
今にも叫び出しそうになっていた、そのときだった。
「柏木補佐っ!神流部長!」とマナミさんが駆け込んできた。
「柏木さん!大丈夫ですか!」
佐々木さんの声もする。
『そんなこと言うなよ―――』
他に好きな人ができたのなら、はっきりとそう言ってくれた方が楽。だと思ったのに、それはそれできっと苦しい。
でも
このときのあたしは、たった一言……啓の言葉に生かされたのだ。
「薬……」
あたしは無意識のうちに呟いて、マナミさんに差し出されたバッグに手を突っ込んだ。
けれど、―――どこ……?どこにあるの―――?
「貸して」啓があたしのバッグをひったくるように奪って、「ごめん、中を探すよ」と一言言い置いて、バッグの中に手を入れる。
目的のものはすぐに見つかったのだろう。
覚えのあるクマのぷーさんのパスケースに入った薬入れを取り出し、ファスナーを開けると
「これでいい!?」とオレンジ色の経口薬を取り出した。
あたしは泣きながらも何とか頷き、啓がその経口薬の封を破り、あたしに手渡してきた。
「ほらっ!これ飲んで」
と手渡され、あたしはほとんど何も考えることなくその苦い液体を口に放り込んだ。