Fahrenheit -華氏- Ⅲ
「ところで、あなたのお隣の席には誰かが?」と、三つ用意された繕のセットを眺めて神来社支社長が目を細める。
「あと少しで来ますよ。大丈夫です、あなたの敵ではない」としっかり言い置き、それから数分後
「失礼いたします、お連れ様お見えになりました」と襖が開けられ、正座をして襖を開けた仲居の背後で、これまた和服姿の正座をしてきっちり床に手を添えた
紫利さんが
顔を上げた。
「ご無沙汰しております。神来社支社長。
藤枝 紫利です。
月香と申した方がご記憶に強いでしょうか。
この場にご同席させていただくこと、どうかお許しくださいませ」
流石、銀座の超が付く程一流クラブの元売れっ子ホステスなだけある。所作と言葉遣いは最高クラスだ。
神来社支社長はそんな紫利さんと俺の間でしきりに目をいったりきたり。
当然の反応だ。俺たちがどういう関係なのか知らなくて当たり前だし。
「ああ、一年前……神流グループのパーティーで、二三会話をした…あの」と神来社支社長が思い出したようにぽんと手を打ち
「覚えていてくださって光栄です」紫利さんは上品に裾を押さえながら、俺の横へと向かってくる。
「こんなに美人は早々忘れそうにありませんよ、それにそのお着物、あのパーティー(※)での着物だ」
※Addict -中毒-参照
京友禅の色留袖。淡い藤色がグラデーションになっていて、裾に淡いピンクの芍薬と黒や青色といった小さな蝶が優雅に飛び交っている柄。帯は黒く細かな金糸が流れる水流のように描かれている。
紫利さんがこの着物を選んできたのはきっとわざとだ。
「お気に入りの一着ですの。大事な行事にはこの着物を着ていく、と私の中での決め事ですので」紫利さんは上品に口元に手をやり、
「神流 啓人さんとは、会長のお父様を通して親しくしていただいておりまして」
と、上品で気品溢れる美人ホステスは、口からでまかせも超一流だ。
俺は思わず苦笑い。