Fahrenheit -華氏- Ⅲ
洒落た黒い器に、黒鯛の昆布じめ、ゼラチンに入った菊花、わさびが上品に添えてある。
それを食しながら
「で?啓人さん、あなたがここまでして、私は何をすればいいのかな?」とビールを飲みながら神来社支社長が聞いてきた。
いきなり確信のついた質問に戸惑ったが
「それは―――」と言いかけ、けれどその言葉を神来社支社長が遮った。
「その前に一つだけ、何故
私が“選ばれた”のか理由を知りたい」
理由―――
「あなたは、あの横浜で、俺を見捨てなかった」
俺の言葉に神来社支社長は目をまばたく。
「え―――……?」
「だって、普通に考えれば職質に合っている若造をわざわざ助けてくれますか?
しかも相手は対立する派閥の息子だ。見捨て置いて、警察にしょっぴかれて問題の一つでも起こしてくれたのなら、神流はそれだけでも痛手だ」
俺が至極真剣に言うと
支社長はビールを飲みながら豪快に笑った。
「それだけで?」
「ほとんどそれだけです。単に人がいい、と言うお人柄もあると思いますが、敵対する派閥の息子を助けずその後のことを想像する、しかしあなたはそうしなかった―――と、その心を信じたんです」
ハッキリと言い切ると
「なるほど、確かにそれは想像しなかったな」神来社支社長は顎に手をやり「うーん」と唸る。
「野心の塊で、脚の引っ張り合いばかりなら普通助けませんよ、俺のことなんて。あなたは掛け値なしの善人だと―――俺は思ったわけです。
まぁほんの少しの野心はあると思いますがね」俺は人差し指と親指で5㎝ほどの感覚を作った。
「なるほど、私はてっきり私の背後にあるものを知ってるから、と思ってましたが、まさかの発言にちょっと驚きました。
いや~、そう思ってくれて光栄ですね。善人なんて言われたのはこの方初めてで、恥ずかしい限りですが、いや……うん…素直に嬉しいです」
神来社支社長は恥ずかしさを隠す為か顔を覆った。
「背後―――…?」
俺はそっちの方が初耳だし、気になる。