Fahrenheit -華氏- Ⅲ
「あのタヌキの!!?」
思わず自分を取り繕うことさえできず素で言っちまって、紫利さんに背中をつねられた。
いでっ!
ゴホン!
わざと大きな咳をして
「失礼いたしました。まさか神来社支社長が緑川副社長の弟さんだとは知らず……大変ご無礼を」
「わたくしも初耳でしたわ」
「いやいや、いいんですよ。あまり知られてないし、知られたくもないしね」と神来社支社長はぐいとビールを一気飲みした。
「八海山の燗を用意させてもらいましょうか」と紫利さんが尋ねると
「ああ、ありがとう。気が利くね」と神来社支社長はにっこり。
すぐに仲居が来て紫利さんが注文している中
「でも……あの…苗字が…」
それに顔……あのタヌキと全然違うじゃねぇか!
「まぁ色々複雑でしてね、私と兄は腹違いの兄弟なんですよ。私は先代副社長の妾腹の子で、認知はされていても緑川の敷居をくぐることは一度もなかった」
そう―――だったんだ……
てか神来社支社長は母親似ってことか。母親に似て良かったですね~と思わず本音が漏れそうになるが、慌てて口を噤む。
しかし
「それはさぞお寂しい想いをされたのでしょうね」と紫利さんが神妙そうに眉を寄せる。
「いやいや、案外気が楽なもんでしたよ。母は優しかったし。
社会人になるまでは穏やかな生活でしたよ」そこで神来社支社長は言葉を切った。
八海山と向付けのぶりの炙り焼き御造りが運ばれてきて、やはり紫利さんがそつなく酌をした。
「私が成人するとき、父は余命いくばくもなく、次の副社長の座をどちらかにするか、で少々揉めまして…私は副社長の座なんて狙っていなかったので、兄に譲る気でいたのですが、父は悩んでいたようで…
兄は私が副社長の座に座ることを恐れていたのでしょうね、父を言いくるめてほぼ強引に神流派の遠縁に当たる家内……神来社家の婿入りを決めてしまって。
まぁ早い話、私はあなたの遠縁である神来社家の入り婿なんですよ」
そう―――……だったんだ…
「ご存じでいらっしゃるとは思いますが、神流は神が流れる、と言う字を書きますが、神来社は神が来る社と言う文字を書きます。
古くからの言い伝えですし、本当なのか分かりませんが我々はあなた方神が流れてきた際、受け止める、助けると言う意味合いがあるようで。
でも、この為に―――私は初めて自分が生きてきた意味を見いだせた気がします」
知らなかった―――ぜ!
確かに神来社て珍しい名前だし、普通に読めないけど。
てか歴史、濃っ!!
てか自分で言うのも何だが俺の本能のセンサーすごっ!