Fahrenheit -華氏- Ⅲ
思わず顔を上げると、また瑠華と目が合ったが今度は瑠華の方が逸らした。
瑠華は佐々木に
「ちょっとした擦り傷です。でも見苦しいので包帯を巻きました」と本当なのか、嘘なのか―――
その声と横顔の表情だけでは分からない。
「病院行った方がいいんじゃないですか」と佐々木が心配そうに聞き
「大した傷でもありませんので。ご心配お掛けしてごめんなさい。携帯は新しいのを買います。連絡先のメモリはPCにバックアップをとっているので大丈夫です」
瑠華が淡々と答え、
瑠華がここに来たばかりの光景が蘇った。
そう―――
何も変わらない光景、それなのに
最初瑠華がここに来たばかりのときよりずっとずっと長い距離が
できた。
それからも瑠華は毎日と変わらず淡々と仕事をこなしている。
PCを立ち上げ、メールチェック。
その端正な横顔を視界に収めるのが辛くて、俺もマウスに手を這わせた。
何通もの取り引き業者の問い合わせのメールに混じって人事部のメールがあった。
“----- Original Message -----
From: 人事部
To: 一斉送信
Sent: Fryday, October 31, 2011 08:45 AM
Subject: 11月1日本社辞令につきまして”
と言うメールに心臓がドキリと波打つ。
二村が指摘した11月1日。この日は辞令が下る日だ。
内容は
“関係者各位
11月1日を持ちまして、下記の社員の異動をご報告いたします”
カーソルをスクロールする為、マウスを握る手に汗が浮かんだ。
下に下げて行くと、瑠華の名前は記載されていない。
そこに大きく安堵をした。
ほっと大きなため息をついた。
“とりあえず”二村は約束を守ってくれたみたいだ。いや、そもそもあいつには人事を動かす力なんてなくて俺を脅してきたってことか?
いや違う。
カードはあいつの中。
俺さえ大人しくしていれば、
瑠華を守れる。
そんな想いで、いけないと思いつつそのきれいな横顔を眺めていると、ふと瑠華が予告も無くこちらを振り返り、一瞬視線が合ったが、今度は俺の方が逸らした。
わざとらしい目のやり場が行き場所を無くして、無駄に佐々木の方へ注がれる。
「何ですか?」と言いたげに佐々木が怪訝そうな表情を作っている。
「何でもねぇよ」と言う意味で目を吊り上げると、佐々木も慌てて視線を逸らす。
その後は淡々と仕事を―――と言うわけにはいかない。
空気が重い……と感じるのは俺だけなのだろうか。佐々木は勿論だが瑠華も何事もなかったように淡々としている。
PCに向き合い、電話応対して、
俺は―――普通になんかできない。
しかも、こんな日に限ってアポを入れてなかったから、外に出る言い訳もできない。