Fahrenheit -華氏- Ⅲ
神来社支社長が宿泊している部屋を訪ねると、彼はジャケットこそ脱いでいたがワイシャツとベストネクタイと言ったきっちりした格好で俺たちを出迎えてくれた。
部屋はダブルで、グレードも高い。
窓際のテーブルセットに、ウィスキーのボトルとロックグラスが置いてあった。
彼はそれを片付けようとしながら
「失礼、さっきまであまり飲んでいなかったので、気が抜けたと言うのか」と恥ずかしそうに頭の後ろに手をやる。
「いえ……俺が無理を言って申し訳ございません、どうぞおくつろぎください」
テーブルに促すと、彼は立ったままグラスを手にして、
「頼まれてたものですよ」と言って少し微笑しながら細長いボイスレコーダーを俺に手渡してきた。
ボイスレコーダーは俺が用意したものだ。勿論、料亭での会話を録音してもらうため彼に手渡した。
「ありがとうございます、無理を言ってすみません」頭を下げると
「いいえ。ちょっとしたスリルがあって楽しかったですよ、私は」神来社支社長は心臓の辺りを手で押さえて、少年のように無邪気に笑う。
「紫利さん、あなたも先ほどまでお疲れ様でした。重役たちのお相手は疲れたでしょう」と神来社支社長は紫利さんの方へ顔を向け、「一杯いかがですか?」とウィスキーのボトルを掲げる。
「ええ、ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます」紫利さんは両手でグラスを持ち、
「啓人さんもどうですか」と当然のように誘われたが
「いえ、車なので。ひとまずこの内容を聞いても…?」と窺いを立てると
「ええ、もちろん。そこのソファにでも腰掛けてゆっくりしてください」
厚意に甘えてソファに座り、俺は早速録音されたボイスレコーダーの再生ボタンを押した。
会食が始まってばかりから録音されたみたいで、結構な時間だ。最初のうち、『やあお久しぶりです』と言った挨拶が交わされ、『そちらはどうですか?』と言った会話が行き交っていた。
それも15分が過ぎ、本格的な宴がはじまると、
『今日皆さんをお呼び立てしたのは――――』
と言う常務の言葉を皮切りに、本題に入りそうだった。
俺はごくりと喉を鳴らしボイスレコーダーをぎゅっと握った。