Fahrenheit -華氏- Ⅲ
「や、やだな~、みんなして。俺、悪者??」
と二村が苦笑いを浮かべている。
俺は薄汚い物にでも触れたかのように乱暴に二村の手を払い
「うちの柏木にちょっかい掛けるのも大概にしろ」
と低く言って、二村を睨み下ろす。
こういうときタッパがあるって便利だな。身長だけで充分な威嚇になる。
「だ、大丈夫ですか…」と佐々木が瑠華の背後に回る。
「え…、ええ…」瑠華は佐々木に何とか答えていた。二人は何かぼそぼそとやり取りをしていたが、
俺は目の前の二村が憎くて憎くて―――
この腕を捻って骨を折ってやりたい。
その衝動に駆られた。
あの安いビニール傘のように簡単に。
俺の手は
おふくろが教えてくれたピアノを弾く為に―――
親父が勧めた野球の為に―――
大切にしてきたものだ。
だからこそ、ここ一番と言う大切なときに
力を発揮するのも悪くない。
俺の顔はどんな顔をしていただろうか。
二村が一瞬子犬のように怯えた表情を浮かべたが、俺は二村の腕に力を入れた。
こんな腕一本ぐらい簡単に―――
そのときだった。
「すみません、柏木補佐、神流部長。うちの二村が面倒を起こしてしまいまして」
と村木がゆっくりと隣のパーテーションから現れた。
村木―――……?
「柏木補佐、すみません。二村にはきつく言い聞かせます。二村、君もだ。今大事な時期だと言うのに、気が緩んでるんじゃないか。隣の部署で油を売る余裕があるとは」
村木は横柄に腕を組み、二村をひたと見据える。
流石に自分の部署の上司が出てきたとなると、二村もそれ以上のことができず
「ご迷惑をお掛けしてすみませんでした」と言い頭を下げた。
それに続き
「ご迷惑をお掛け致しました」
と村木が頭を下げたが
俺は今、もしかして村木に助けられたのかもしれない。
村木が来なければ、俺は確実に―――
二村の腕を掴んでいた手のひらに視線を落とし
『あなたの手は誰かを傷つける為にあるものじゃないの。
もちろん、ピアノをきれいに弾くためにもあるけれど
大切なひとを守る為に、あるのよ』
ふと母親の言葉を思い出す。
大切なひとを――――
守りたかったんだよ、俺は。
どうしたらこの手で守れるのか、教えてくれよ
――――母さん。