Fahrenheit -華氏- Ⅲ
葵さんの言葉は異世界の言葉に聞こえた。
ちょうど二階にあがるエスカレーターだった。あまりに吹っ飛んだ発言をされて、油断をしていたのかエスカレーターの溝でヒールが傾いた。
10㎝ヒールのお気に入りのダイアナのパンプス。
思わず手摺に掴ろうとする前に、あたしの後ろでエスカレーターに今まさに乗ろうとしていた葵さんがあたしの腰に手を回し支えてくれた。
「あっぶな~…大丈夫??」
葵さんはあたしの腰に手を回しながら、
「そんな折れそうなヒール履いてるからだよ」と苦笑い。
思わず振り返ると、葵さんと同じ目線だった。エスカレーターの一段。
たった一段。けれどその一段は結構な高さがある。
並んで歩いているとそれほどとは思わなかった。だって啓やマックスの背は葵さんより遥かに高いから。
こんな時に―――あたしは葵さんの中に”男”を見た。
力強い腕。あたしを軽々支えて―――
「普段はこんなことはありません。あなたがとんでもない発言をしたので驚いただけです」
そっけなく言って、葵さんの力強い腕から逃れようと身をよじった。
そう―――
葵さんの手はとても力強かった。
「もう大丈夫です、離してください」
「危ないから、このままこうしてるよ」と葵さんはにこにこ。
「いいえ、大丈夫です。ヒールは慣れているので」
何とか葵さんの腕から逃れたいあたしは彼の手を退かそうと力を入れた。
けれど葵さんの手はぴくりともしない。