Fahrenheit -華氏- Ⅲ
秋の風が冷たくて、思わず身震いをして両肩を抱きしめる。
車だったし、会う場所はどうせ屋内のカフェだと思ってたからコートを着てこなかった。それをちょっと後悔していると、葵さんは着ていたミルクティーベージュ色のパーカーを脱いで手慣れた動作でふわりとあたしの肩にかける。
思わず顔を上げると
「風邪、ひかないようにね」
「ええ…ありがとうございます。ですが葵さんは寒くないのですか?」
「うん♪俺は大丈夫♪寒さには強い方だから」
葵さんのパーカーからは葵さんが使っている柔軟剤と、それに混じってほんの僅か甘めの香水の香り。
それは啓のFahrenheitとは全然種類が違うものだった。
こうやって―――
あたしは、啓の香りの上にどんどん新しい香りを上書きしていって、やがてその香りは薄らぎ、消えていくのだろうか。
ううん、忘れたくない。
あたしは葵さんの厚意をありがたく思いながら、それでも
「私は車なので大丈夫です。駐車場もすぐ近くなので」と言い、葵さんにパーカーを返した。
「え~?ホントに?大丈夫?」と葵さんが心配そうに聞いてきた。
「ええ、本当に、大丈夫です」と葵さんに答える。
車で来たと言うことも、駐車場が近くだと言うことも本当のことだ。
駐車場と駅の分かれ道のとき、
「今日は色々とありがとうございました」葵さんに頭を下げ駐車場に向かおうとすると
「瑠華ちゃん」と呼び止められた。
思わず振り返ると
「はい♪」
と、水族館のロゴが入った紙袋を手渡された。結構な重さがある。
「何ですか?」
「あげる♪開けてみて?」と言われ、その場で袋を開けると、あたしがさっき眺めていたスノードームが出てきて思わず目をまばたいた。
「どうして…」
「さっき見てたでしょ」
「ええ、まぁ」と言うかあたしはそんなに物欲しそうな顔をしていたのだろうか。
「あげる。イルカの瑠華ちゃんに」再びにこにこ言われて、あたしは思わず目を細めた。
イルカの瑠華……
あたしの名前の由来は違うんだけど。
由来を言い当てられたのは
啓が初めてだった。