Fahrenheit -華氏- Ⅲ
その後は当たり障りのない私生活の現状報告をして、綾子さんと親しくさせてもらっていることを言うと、おじさまはちょっと驚いていた。
「綾子くんと?」
「はい、とても親身になってくださって」
「ここだけの話、綾子くんは結構キツいところがあって、私は彼女に頭が上がらないんだよ」
おじ様は周りを気にしながらぼそっと言う。
「あら、まあ」私はここに来てちょっと笑った。
「女性には優しいのかな。男顔負けの仕事をするしね」
「女性としても仕事としても素晴らしい方です」あたしがはっきりと言うと、おじ様は心から安堵した様子だ。
「まぁ一瞬……そうだな、一瞬だけうちの愚息の嫁にきてくれないかと思ったのだが…」
あたしは飲んでいたコーヒーを喉に詰まらせそうになった。
「啓人も私生活はだらしないからな、ああゆうしっかりしたタイプが合うと思ったのだが。君が来る前にやんわりそう言う話をしたら、綾子くんがにっこり笑って
『会長、セクハラで訴えますよ』って」
あたしはまたちょっと笑った。
綾子さんて、何をしても綾子さんだ。
結局、おじ様が何を言いたかったか分からなかったけれど、話は10分足らずで終わった。
会長はこの後、お出かけをするらしい。
「すまないね、仕事中」
「いえ」
あたしはキッチリと頭を下げ会長室から出た。
結局―――あたしの稟議の話は一切出てこなかった。
良かったのか、良くなかったのか。
辞令のくだった日に、呼び出されるなんて…何て偶然―――
話は本当に世間話だったけれど、でも人払いをしてまで会長室で話す内容だったのか。
普段忙しくて時間が取れないから、と言っていたが。
別室で待機していたであろう綾子さんが会議室のような所から出てきて
「あら、もう終わったの?」とまばたき。
「ええ、私生活のことでちょっと」
「あら、そうなの?確かに会長は365日仕事されてるようなものだからねぇ」綾子さんは可憐にため息をつく。
「あの…そう言えば瑞野さんは…?」
「瑞野さん?外食事業部に行ってるわよ。書類の不備で」
「そう…なんですか…」
「パーティの件のこと?だったら特に何もなかったわよ。瑞野さんは一番遅れてきたけれど、二村くんたちとはあんまり話してる感じじゃなかったわね。
どちらかと言うと私との時間が多かった気がする」
綾子さんはちょっと考えるように顎に手を置き首を捻る。
「そうですか。ありがとうございます」
あたしは言葉も少な目に「失礼します」と言い、彼女の横を通り過ぎようとすると
「ねぇ柏木さん、何か―――
あった?」