Fahrenheit -華氏- Ⅲ
この日は瑠華の方が早く出社していた。瑠華の背後の壁にはルイヴィトンの傘が立てかけてある。
帰りのことを考えて、のことだろう。まだ雨は降っていなかった。
「…おはよ」キマヅそうに挨拶すると
「おはようございます」と瑠華はいつも通り淡々としていた。
瑠華は―――知っているのだろうか…
緑川が妊娠したかも、ってこと。
いや、知らないよな……俺が緑川に接近禁止命令(←大げさ?)を出したしな。
こんな時…俺たちの仲がまだ以前のようだったら気軽に相談できるっていうのに…
はぁ
小さくため息をつきながらデスクに向かう。
「ここ二三日お疲れのご様子ですが、大丈夫ですか」
と、いつもは挨拶以上何も会話がないのに、珍しく瑠華から話しかけられて心臓がちょっと高鳴った。
気に掛けて―――くれてたんだ……
「いや…ちょっと疲れてるだけだからサ」俺は何でもないように苦笑を浮かべて手をひらひら。
本当は全て打ち明けたかった。全部話して、全部自分の気持ちを伝えて
今すぐにでも瑠華を抱きしめたかった。
『傷つけてごめんね』
と、言いたかった。
けれど
できない。
二村が瑠華の”偽の”稟議書を握っているまでは。