Fahrenheit -華氏- Ⅲ


20XX年 11月18日


昨日、まるで街が壊れるんじゃないかと思った台風は若干の風がまだ残っていたけれど、それでも通常の東京に戻った。


エントランスロビーでは相変わらず、ウチヤマさんが立っていた。


「いってらっしゃいませ、タナカさま」


ウチヤマさんはあたしに背を向け立ち去って行った男性にきっちりと頭を下げている最中で、その前には「行ってらっしゃい、あなた~」と奥様がご主人の背に手を振っていた。


こう言うのおしどり夫婦と言うものだろうか。


ちょっと羨ましい…と奥様の方を見ていると、彼女はウチヤマさんにパッと顔を向け、そのウチヤマさんはあたしの気配に気づいたのか、顏をタナカさま奥様からあたしへ向け


「柏木さま、昨日はご迷惑をおかけしまして申し訳ございませんでした」と微苦笑を浮かべ頭を下げる。


きっと住人全員にそうやって謝っているのだろう。


「いいえ、不便はしませんでしたから」と会話を交わしているとき、タナカさんの奥様は「ふん」と小さく鼻を鳴らしてツンと顔を背け、あたしの横を通り抜けていった。


どうやらあたしはタナカさんの奥様に嫌われているようだ。


ま、いいけど。


「今日もステキなお召し物ですね」とウチヤマさんに言われ、改めてあたしは自分の姿を見下ろした。


ウチヤマさんはハっとなったように慌てて口を閉ざしたけど


「変、じゃありませんか?」と聞いた。もしかして浮いてる??


「とんでもございません。良くお似合いですよ。今日は外回りですか?」と聞かれ、その隣で同じく立っていたイシカワさんがどこかそわそわした様子であたしたちのやり取りを見守っている。


「ええ、外回りで」あたしは腕時計に視線を落とした。今日の時計はカルティエの”タンク・アメリカン”


スーツの邪魔にならないように白い文字盤に黒い革ベルトと言うシンプルなもの。


その文字盤の上、秒針が7時35分を指していた。


「寝坊ではないですよ?今日は車で出勤でもないので」とウチヤマさんの言葉の前に言うと、彼はちょっと苦笑いを浮かべた。


あたしは微笑んだ。


「”あの時”(※)はありがとうございました。それでは行ってきます」


※「*NOBILE*  -Fahrenheit side UCHIYAMA story-」参照


「行ってらっしゃいませ」


あたしがマンションを出ると、部屋から見た景色より太陽の光が強く感じられた。


思わず顔の前に手を翳し、僅かの間、サンサンと降り注ぐ太陽を眺め、


あたしは歩き出した。



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