Fahrenheit -華氏- Ⅲ
タクシーは、滑りこむように路肩に停まった。
「ごめん、瑞野さん。俺、本当に行かなきゃ」
今度は少しだけ力を入れて瑞野さんの手をはがそうとすると、瑞野さんの手はあっさりと離れていった。
力を無くしたであろう手がだらりと降りる。それと同時に瑞野さんが項垂れるように俯いた。
どこを見ているのか分からない視線を道路に彷徨わせている。
俺は思う。
あのまま瑞野さんと言い合い(?)をしていたら、きっとタクシーを見逃していたであろう。
やはりあの手は……俺に何らかの道を導いているのだ―――
そう前向きに考えないとやってられない。
とりあえずはあの手に救われたわけだが。
「瑞野さん、ごめん。俺、行かなきゃ」
タクシーの扉が開いて、瑞野さんの方を振り返ると、彼女は項垂れた顔を上げてちょっと寂しそうに……
「はい……、分かりました」と強引に笑った。
タクシーに乗り込む際、瑞野さんの小さな声を聞いた。
「やっぱり、部長の原動力は柏木補佐なんですね。
部長を……部長の心をそこまで動かせるひと
羨ましい」
原動力―――なのか……
今はそれは違う。
ただ、俺は―――瑠華を止めたくて。
偽の稟議を行使するのを止めたくて―――
俺や俺の親父の身に降りかかるダメージではなく、ただ単に彼女の手を黒く染めたくない。
その一心だ。
ごめんね
瑞野さん