Fahrenheit -華氏- Ⅲ
いつも以上に素直になれるのは、葵さんがあたしの思っている以上に素直でぶっきらぼうだったからか。
葵さんがぱっと顔を上げる。
その瞳は何故だか今にも泣きだしそうに潤んでいるように見えた。
ふっ
あたしは何故だか笑った。
「そんな、生涯の別れみたいな顔しないでください。あんな小さな口論で契約は破棄しませんから」
「単なる契約とかじゃない。ただ純粋に瑠華ちゃんが怒ってなくて良かった…って」葵さんは心底安心したように口元を覆う。
「怒っていません。けれど一つだけ言わさせていただきますと、後悔するぐらいなら一度言葉に出す前に考えた方がいいと…」言いかけた言葉は、ふいに彼に引き寄せられかき消された。
「後悔―――してもいい。俺、バカだから考えて行動することできない」
引き寄せられたと同時に彼はそう呟き、
ふわり
あたしを抱きしめてきた。
何―――……
葵さんはあたしの肩を抱きしめて
「仲直りのハグ。お願いだから張り倒さないでね」
仲直りの―――ハグ……
NYに居るとき、友達、同僚、家族、当たり前のように色々なシーンで色々な感情を持ってハグをした。
慣れてる筈―――なのに、久しぶりに何故だか体が強張った。
構えることなんてない。葵さんとあたしは共犯者と言う関係だけ。
でも―――
胸の奥がざわざわする。
「ありがとうございます。でも私は本当に気にしてませんので」
やんわりと葵さんの胸を押し戻し真剣に言うと、葵さんは納得したのかしてないのか小さく頷いた。
けれど、手は繋いだまま。
指先から伝わってくる温もりがやたらとリアルに感じる。
葵さんの体温は高い方なのだろう、熱を持ったように熱い。
啓の手も温かった。けれどこの温もりは―――
あたしがまだマックスと結婚する前、交際しているときのあのひとのぬくもりを思い出させた。
「心配……ありがとうございます」
やんわりと手を引きはがすと葵さんは名残惜しそうに手を宙にかざしていたけれど、それでもそれ以上はしてこなかった。
葵さんの手が離れて急に体温が通常に戻った気がした。
気のせい―――……?
葵さんはいつもの人懐っこい笑顔を浮かべ
「遅いから送ってく」と言って道路を目配せ。
「いえ、結構です。タクシー拾いますので」
「そう?んじゃタクシー拾うまで」
と言う葵さんの軽い口調はいつものもので、自分の勘違いが急に恥ずかしくなった。
「いえ、子供じゃないのでタクシーぐらい拾えます」
「そっか、じゃ、俺あっちだから」と言って駅の方を指さす葵さんは相変わらず笑顔で。
「ええ、ご心配ありがとうございます」小さく頭を下げると
「うん、またね~♪」葵さんは元来の明るさを完全に取り戻し元気いっぱいに手をぶんぶん振る。
ふっ
またもあたしの口から笑みがこぼれた。
子供みたい。
「また連絡します」
また―――