Fahrenheit -華氏- Ⅲ
「お待たせ」
リビングに戻ると、瑞野さんはキッチンに移動していて食器棚の扉を開いていた。
俺が戻ったことに気付いた瑞野さんはビクリと肩を大きく震わせ、後ろ手に食器棚の扉を閉める。
「あ…あの!コーヒー入ったみたいなのでカップに入れようかと…すみません、勝手なことをして」
確かにコーヒーメーカーのコーヒーは出来上がっていたが…
それは言い訳だろ?
心の声が漏れそうになったが何とか堪えて
「あー、いいよ、俺がやる。てか相変わらず秘書気質だねぇ」と笑ってみせた。
瑞野さんは俺の笑顔に気を許したのか、ほっとしたように肩を撫で下ろした。
コーヒーをローテーブルまで運び瑞野さんの前に置くと瑞野さんはまたも恐縮したように頭を下げた。
両手にぎゅっと大事そうにバッグを抱きしめている。
俺は来客用(つっても初めて出したが)カップに口を付け、隣に腰掛けている瑞野さんを横目で見た。
「俺、回りくどいこと嫌いだから単刀直入に聞くけど、瑞野さんがここに来た”目的”って
”これ”だよね」
俺は瑞野さんの前につまんだSDカードを翳した。
瑞野さんの顔色がさっと青く変わる。
ビンゴか。
瑞野さんの目的はやはり俺が奪った二村のSDカードだ。
「あの……あたしは別に…」瑞野さんは顔を青くさせたまま、俺から視線を外した。額にほんの僅か汗が浮かんでいる。焦燥か畏怖か緊張か、或は三つの感情が混ざっているのかもしれない。
しかしここで変な優しさを出すつもりもない。
「正直に言えよ、二村の差し金で”これ”を探しに来たって」
瑞野さんを覗き込んで声を低めると
「し、知りません……あたしは本当に携帯を探しにきただけで…」
尚も認めようとしないが、瑞野さんのこの態度が認めたようなものだ。
俺はわざと瑞野さんのカップに手をぶつけ、コーヒーのカップを傾けた。
カシャンっ
小さな音を立ててカップがローテーブルに転がる。
当然中身が零れるわけで。琥珀色をした液体はローテーブルの端を伝ってラグに零れ落ちる。
「あ…」
瑞野さんが小さく声をあげ、思わず、と言った具合で体をのけぞらせた。そのふしにバッグから手が離れ床に転がり落ちた。
その中からピンクのスマホがほんの僅か飛び出てきた。
俺はそのスマホを取りあげると
「ちょっ!」と、と流石に焦った瑞野さんが手を伸ばしたが、俺がそれより高く上げた。
「何するんですか」と瑞野さんは珍しく目を吊り上げる。
「それはこっちの台詞だ。同じ手には乗らないよ」
スマホの画面を眺めると、思った通り『通話中』になっていて、相手は”空ちゃん”になっていた。
おかしいと思ったんだ。ここに来てから瑞野さんはそこにまるで大金が入っているかのようにバッグを大事そうに抱きしめ、離そうとしなかった。
二村と通話が繋がっているのは想像できた。
俺はテレビ画面に切り替えると、案の定二村の顔がぱっと映った。