Fahrenheit -華氏- Ⅲ
その日、あたしはバスタブにたっぷりお湯をはり、ゆっくりと時間を掛けて入った。
丁寧に髪を乾かし、スキンケアをして、借りてきたDVDの映画を見ながらワインを飲む。
コンビニで買ったつまみ…チーズ等は……やはり食欲がなく口に入れる気になれず結局冷蔵庫に眠ったままだけど
啓と出会う前のあたしの生活に戻った。
何も―――変わらない。
啓がいつも座る定位置に彼の姿の残像だけを残し、そこに視線を向けることなくあたしは流れる映画に食いいった。
そうしているうちに―――啓の残像を求めなくて済む気がして。
けれど、意思とは反対に
あたしは啓の香りが染みこんだ“ぴよこ”もとい啓からもらったひよこのぬいるぐみと、啓のシャツを抱きしめ、ソファに横たわると
そのまま眠りについた。
―――夢はみなかった。
けれど起きたら何故か頬に冷たい何かが伝っていて、
あたしが覚えてないだけど、きっと啓の夢を見ていたのだ―――
そう気付かされた。
―――
――
マックスから電話があったのは次の日だった。
無視することもできたけれど、あたしは電話に出ることにした。喫煙ルームでタバコを吸いながら、苛立ちを隠そうともせず
不在着信に折り返しの電話を入れた。
「What?(何?)」開口一番そっけなく言うと
「As usual.(相変わらずだね)」と苦笑の言葉が聞こえてきた。せっかちにタバコを口に含み
「If you need me, make it quick.I'm at work.(用があるのなら手短にしてよね、こっちは仕事中だから)」
タバコを吸う以上にせっかちに言い、
『I'll be brief, then. Tomorrow, I'm leaving Japan for good.(じゃぁ手短に、明日、“一応”日本を発つことにしたよ)』
「Uh‐huh. Well, then I won't have to see your disgusted face. I'm so glad.(あ、そ。じゃぁあんたのそのムカツク顔見なくて済むわね、せいせいするわ)」
不機嫌を隠さずストレートに言うと、マックスが僅かに苦笑した気配があった。
「Yeah, By the way, I don't need to send you, do I?(ああ、一応言っておくけど、送りは要らないわよね。するつもりもないし)」
『I don't have expectations. But I'm sure you'll come for me when I come to Japan.(期待はしてないよ。でも君は俺が来日したとき絶対に“迎え”にくる)』
意味深な言葉を聞いて眉をしかめる。
何なの。
そう言えば、ユーリを連れてくるって言ってたっけ。
ここ数日の出来事で、忘れかけていた。
どうせ『ユーリ』の名前を出したらあたしが食いついてくるって思ってるのだ。あのひとの嘘でしょうから。