Fahrenheit -華氏- Ⅲ
「でもさ~、柏木さんも水臭いじゃん。せめて差出人の名前だけ書いてあげたら?あいつ、悩んでたぜ」
ぴくり
あたしの指が僅かに震えた。
無言で軽く頭を横に振ると
「啓と私の仲がまだ完全に壊れ切ってないってこと知られたらマズいので」
麻野さんは大きなため息を吐いた。
「―――二村、か」
「でも心配には及びません。そう長引かせるつもりはありませんので」
キッパリと宣言すると、麻野さんは口に含んでいたコーヒーをごくりと飲み込み
「おー、頼もしい」と白い歯を見せて笑った。
そのときだった
TRRRR…
麻野さんの携帯に着信があった。
麻野さんはディスプレイを見ると
「んゲ!」と変な声をあげ「噂をすれば……だ。あいつ、俺が柏木さんに何かしてないか心配なんじゃないかな」
と携帯のディスプレイをこちらに向けてくれた。
着信:神流 啓人
となっている。
なおも鳴り続ける着信音に
「出ては?」と提案するも、麻野さんはブンブン顔を横に振り
「あいつに何言われるか分かんねー!ぜってぇ俺が柏木さんを苛めてるって思ってそうだから」
苛めて……
いいえ、むしろ逆の方だと思うけれど。
麻野さんごときに苛められてしくしく泣く可愛い女ではないこと、啓も承知の筈だ。
でも―――
心配してくれてるんだ。
「行きましょうか」
あたしはテーブルに置かれた伝票を手に取り、ほんの少しだけ麻野さんに笑いかけた。
支払いはあたしがした。
麻野さんは最初あたしの分も払うと言っていたが、一杯たかだか350円程度だ。貸し借りにも値しないだろう。