Fahrenheit -華氏- Ⅲ
「部長は意味もなく怒ったりする人じゃないです、
何て言うか、部長はとても柏木さんを信頼してるんです。
だから本気でぶつかりたいと思ったんだと思います。
じゃないとあの人、スルーですから」
佐々木さんは無理やり浮かべた笑顔を苦く歪めている。
「……ありがとうございます…そう言ってくださって…」
「あの…元気出してください。月曜日、また元気な柏木さんを見たいです」
佐々木さん―――
「ありがとうございます」
ちょうど、空車のタクシーが信号待ちをしている所を目に入れた。あたしは佐々木さんからそっと手を離すと
自らの手でタクシーを呼び寄せた。
ようやく見つけた客、と言わんばかりにタクシーはわき目もふらずすぐにあたしの横に着いた。
「佐々木さん、ありがとうございました。では月曜日に」
短く挨拶をすると、佐々木さんは尚も心配そうに眉を寄せていたが小さく頷き
「はい!お気をつけて」とブンブン手を振った。
タクシーに行先を伝え、発車すると同時あたしは後部座席から後ろを振り返った。
夜の南青山の歩道で佐々木さんはまだ手をぶんぶん振っている。
あたしは軽く身をねじり、同じく小さめの素振りで手を振った。
佐々木さんが見えなくなると、小さく吐息が出た。
バッグの中に入れっぱなしになっていたスマホを取り出し、すぐに葵さんに電話を掛けた。
TRRRR…
相手は1コールの途中で出た。
今日は仕事休みなのかしら、それともキャバクラのボーイってそれほど忙しくないもの?
『もしもし、瑠華ちゃん?うまく行った?』とすぐに聞かれ
「ええ、すべてあなたのおかげです。
あまり使わないのですが、たまに役に立つときがあるんですね」
あたしはバッグから小さめの”目薬”を取り出し、にやりと笑った。