Fahrenheit -華氏- Ⅲ

今、まさに季節は冬。


言った通り、暑い夏が過ぎてやってきたのは凍えるような寒い一人の冬。


日本(ここ)に来るとき、あたしはこの寒い冬を一人で乗り切ろうと思っていた。事実、NYの寒さに比べると東京の寒さなんて気にならない程だと思っていたが、


啓のぬくもりを知ってしまった現実(いま)、NYの寒さよりもうんと寒く感じる。


しかし今は長風呂だったせいか、体が火照ったように熱い。


髪も乾かさず冷たいビールで喉を潤そうかと思い、リビングに向かおうとするとリビングの扉が少し開いていて、そこから半透明の小さな


手―――……?


が、あたしを手招きしていた。


髪を拭いていたタオルがあたしの手から滑り落ちる。


何で―――……


”それ”は以前心音が偽のオークションのHPを作ろうとしていたとき、彼女の手に重ねられていたものと酷似していた。


あたしは目を閉じることも頭を振ることもできず、ただただみっともなくその小さな手を凝視するしかなかった。


その小さな手はあたしに『おいで、おいで』をしているようにゆらゆらと動き手招き……しているように見える。


前回は、心音には見えていなかったことが恐ろしくてその事実から目を逸らしてしまったけれど、今のあたしはまるでその手に招かれるように、或いはとり憑かれたようにふらふらとその手が呼ぶ場所まで向かった。


きぃ…


小さな木のきしみ音を立ててリビングの扉を開ける。


そこは帰ってきたばかりの様子、そのままだった。


明かりは点けっぱなし。ソファにバッグが置かれていて、ローテーブルには……


いつも読んでいる経済紙??


あれ…あんな所に経済紙なんて置いたかしら。


ちょっと首を捻り


ああ、そう言えば今朝時間が無くて定期購読している経済紙をそのままにして家を出たんだ、と納得した。


小さな手は、ふわりとその経済紙の上に移動して、そしてすっと


消えた―――


ゾクリ…


またもあたしの背中に悪寒が走った。

< 603 / 743 >

この作品をシェア

pagetop