Fahrenheit -華氏- Ⅲ
紫利さんは黒のタートルネックと細身のジーンズと言うシンプルないでたちだった。
けれど、元銀座の高級クラブの売れっ子ホステス。シンプルないでたちでもそこから放たれる妖艶なオーラが周りの男の視線を釘づけにしている。
そんな視線に…たぶん気付いているだろうがもろともせず、紫利さんはきさくに手を振ってくる。
久しぶりに会う高校の先輩で今はこのホテルのバーテンをやっているゆうくんに「ごめん、ギムレット」と頼むと
「濃い目にね」と紫利さんは親指と人差し指で数センチの幅を作り、ゆうくんにウィンク。
「久しぶりね、こうやって飲むの」
ゆうくんが作ってくれたギムレットが運ばれてきて俺たちは乾杯。紫利さんは変わらずシャンディガフ。
瑠華と出逢う前―――俺たちはこうやって……ここの暗黙のルールのように今と同じ様に酒を注文し乾杯し合っていた。
別れたのは数か月前だと言うのに随分懐かしく感じる。
「ごめん……アドレス削除しちゃってて、最初誰か分かんなかった」
俺が切り出すと
「私の方には残ってた」
紫利さんはシャンディガフのグラスをそっと押しだし、腕を伸ばし軽く伸び。そして流れるように頬杖をつき、呟いた。
「不思議よね、なぁんで消さなかったのか。
消せなかったのか―――
あなたとこんな風に会うこと、もう二度と無いって思ってたのに」
「俺も……俺も紫利さんとサシで飲むことはもう無いと思ってた」
俺が目を伏せ、グラスの中スレスレに入った乳白色の酒を見つめる。
そっと持たないとこぼれる。
少しでも傾いたらこぼれる。
以前、俺は
もし恋に味があるのなら―――ギムレットに似ていると思った。
ジンのほろ苦さ、ライムの酸っぱさ。
そして喉を焼きつくす程の熱さ。
一滴での垂らしたら溢れる多さ、絶妙なラインで保たれているその液体は、溢れることなく留まっている。
その恋の味を“こぼさない”よう、力を入れステムを握った。