Fahrenheit -華氏- Ⅲ
「葵さん、行きましょう」
葵さんをせっかちに促すと
「何で~、俺が瑠華ちゃんの彼氏だったら噂は早く回る方が良くない?
それとも
”ぶちょー”に俺と二人でいるところ、見られたくない?」
葵さんの言葉にあたしは目を開いて立ち止まった。ゆっくりと葵さんの顔を窺うと
葵さんは無表情のままポケットに手を入れてこちらをまっすぐに見据え返してきた。
「あなたには関係のないことです」
応える義理はない。あたしは踵を返して会社とは逆方向の駅の方面に歩き出した。
「関係、あるよ」
葵さんがすぐ後を追いかけてきてあたしの腕を取る。
あたしは―――突然、あたしのパーソナルスペースに入ってこられると、極端なぐらい拒絶反応を起こしてしまう。
今は――――特に。
誰も入って来ないで。
誰も触れないで。
「やめてください!」
少し大きな声で葵さんの腕を振り払うと、手を振り払われた葵さんは茫然としてあたしと自分の手を交互に見やった。
帰宅ラッシュ時のこの時間、行き交う人たちの視線が痛いほど突き刺さる。
「何、痴話げんか?」
「しつこいナンパ?」
………いけない、これじゃ何の事情も知らない赤の他人から葵さんは完全な悪者だ。
「……ごめんなさい…あの…少し場所を変えましょうか」
そう提案したとき葵さんは『帰る』と言い出すと思いきや「うん」と素直に頷いて、ゆっくりとあたしの隣に並んだ。
表参道の街路樹のイルミネーション程豪華ではないが、ここ広尾エリアも青白いイルミネーションが街灯や街路樹に巻き付けてあってきらきらと輝いている。
そう言えば―――もうすぐクリスマスか。
心無しか待ちゆく人たちもカップルらしき二人組が多い気がする。
「きれいだね~」
吐き出す息を白くさせて葵さんは天を見上げると「ね?」とあたしに意見を求めてきた。それはあたしが知ってる屈託ない少年のような笑顔。
さっき怒鳴ったことを気にしてなさそうで少しばかりほっとした。
「ええ」素直に頷くと
「空汰がさー、イルミネーションアップしてたんだよね~、それがほら。ちょうどこの場所」葵さんはスマホを見せてくれて、その画面には二村さんのSNSの写真が映し出されていた。
ホントだ…