Fahrenheit -華氏- Ⅲ
「瑠華ちゃん、ちょっとごめん俺トイレ」と葵さんは早々に席を外した。
マナミさんと伊藤さんと三人になったあたしたち。
「あの彼とは付き合ってるの?」葵さんが席を外したところで急にフランクになった伊藤さんが葵さんが向かっていったトイレの方を顎で指し示す。
「ええ、一か月ほど前から」
「へぇ、なれそめ聞いていい?」
「ちょっとぉ涼介さん」とさすがにマナミさんが咎めたが
「ナンパされました」とあっさりと白状すると「へー」と伊藤さんが意外そうな声を出した。
「どうしてそんなことお聞きに?」
「いや、なんかチグハグだなぁって。いかにも仕事デキそうで可愛いルカちゃんに、いかにも軽そうなあんな男」
ルカちゃん―――?これまた急に馴れ馴れしい。しかも初対面で葵さんのことを軽そう、ですって?あなたに葵さんの何が分かるんですか、と口から出そうになったが留めた。まぁ軽そうと思ったのはあたしもそうだし。でも軽そうに見えて考えているときは考えている。お金の利害関係があるにも関わらずあたしの間違いには指摘して時にはぶつかった。あたしが落ち込んでるとさりげなくフォローしてくれる。二村さんがあたしのことを悪く言ったときも庇ってくれたし。(まぁ演技かもしれないけど)
葵さんはそういう人だ。そう言う優しい人だ。
「ちょっと、涼介さん、言い過ぎよ。あたしはお似合いだと思うけどな」とマナミさんが必死にフォロー。
「よく言われるので慣れてます。でも彼、ああ見えてすごく優しいし、一緒にいて退屈しないので楽しいですよ」
「へー」と伊藤さんは気のない返事。
「ちょうど私が元カレにフられたばかりに声を掛けられ、親身になって色々聞いてくださり」
「それって下心からじゃない?」
何だろう、この人。ちょっと……いや、だいぶ失礼な人だ。最初は爽やかだと思ったけれど。
「涼介さん」と流石にマナミさんもちょっと気を悪くしたのか伊藤さんの腕を軽く揺すった。
「それでも私の心の拠り所になってもらってます」
「ふーん…」
そんな話をしているときに葵さんが戻ってきた。険悪、とはいかないまでもちょっと微妙な空気の中
「ごめーん、トイレ混んでてサ」と葵さんは明るく笑う。
「いいえ。今あなたの話で盛り上がってました」
「何々?」
「あなたがとても印象的にナンパしてきたお話です」
ビールに口をつけていた葵さんは危うく吹き出しそうになった。
葵さんが戻ってからは伊藤さんは元来の爽やかさを取り戻し、他愛のない会話で場は和んでいたが
「あ、俺タバコ吸いたくなった。ルカちゃんついてきて」と葵さんが立ち上がった。葵さんてタバコ吸う人だったっけ?見たことないけど。でもあたしも吸いたくなった。ちょうどいい。
「ちょっと失礼」と断りを入れあたしたちは席を外した。