Fahrenheit -華氏- Ⅲ
「今日は……いつもと雰囲気違うね」
思わず言ってしまった後になってはっとなった。
「……ごめん、変なこと聞いて」
「……いいえ、ファイルありがとうございました」
瑠華が俺の腕からすり抜けていこうとする。
「待って」
俺は―――何を言おうとしているのだろう。
何を―――しようとしているのだろう。
だけど、考えるより早く、体が動いた。
瑠華の華奢な手首を思わず掴んでいた。そこには以前俺が目にしたハリーの腕時計があり、俺の手のひらの中、秒針が音を立て確実に時を刻んでいた。
バカだな、俺。今すぐ―――前の様には戻れないって言うのに。
できれば、この手でその時計を逆戻りしして、時間を遡りたい。
瑠華は―――あからさまに拒絶はしなかった。ただ―――酷く困ってはいる。
「誰かと、会うの?」俺はまた意思とは反してそう聞いていた。
瑠華は一瞬悲しそうに眉を寄せ、しかしすぐに唇をきゅっと結ぶと、
「あなたには関係ありません」と低く答えた。
「そう―――……だよな。ごめん」
俺は今度こそ瑠華から手を離そうとした。
『関係ない』そう言われても当然だ。なのに、心が―――ついていかない。
俯いたまま、しかし完全に腕を離すことができず、ただただどううまく切り返していいか分からず、聞こえる筈のない秒針だけがこの鎮まった空間の中、コチッコチッと音を立てているような気がした。
「―――すみません、言い過ぎました」瑠華の静かな言葉に顔を上げると、瑠華も同じ様に悲しそうに眉を寄せ、しかしすぐにまた表情を引き締めると、
俺の手の上にそっと手のひらを重ねてきた。俺の体温より低い体温。ひやりと、冷たい。
え―――……
思わず目を開くと
「私が今日、会う相手は―――
ジョーカーです」
瑠華は至極真剣に言い、その眼の底で強い意思が光を放っていた。
瑠華―――……?
瑠華は俺の手を彼女の手のひらでゆっくりと引きはがし
「助けてくださってありがとうございます。
でも、決心を―――鈍らせないでください」
またも低く言い、瑠華は今度こそ身を翻し、資料室を出ていった。
「はぁ…」
大きなため息を吐き
「俺……何やってんだろ」思わず額に手を当て、ずるずるとその場にしゃがみ込む。
ズキズキと頭が痛いのは、さっきファイルで頭をぶつけたからだろうか。
いや、違う。
瑠華の一言一言が頭に響いているのだ。
ジョーカー………