真昼の星空
大学のカフェテラス。
ガラス越しの冬の日差しが、白いテーブルにやわらかく落ちている。
雅人は広哉と向かい合い、課題の資料を広げていた。
コーヒーの湯気がゆっくり上がる。
「ここ、提出形式変わってない?」
広哉がノートを覗き込みながら言う。
その時、隣の席に女子学生三人が座った。
「冬休みも課題に追われて終わりそうだね」
「ほんと。全然遊びにも行けそうにないし」
「ねえ、今日陽は? 来ないの? 久しぶりにゆっくり話したかったのに」
雅人と広哉の手が、同時に止まった。
静かに顔を上げる。
気づかれないように視線を向けると、陽がいつも一緒にいる友人たちかもしれなかった。
「なんか課題やるって。みんなと違って物凄い頑張ってここ入ったから、普通にやってたら置いてかれるってさ。真面目だよね。全然大丈夫なのに」
「イブだからデートかと思った。モテるのに誰にもなびかないから、本命いるのかね」
雅人と広哉の耳は、完全にそちらへ向いていた。
「随分前だけど、色んなところでお祈りとか願掛けみたいのするから、何をそんなにお願いするの?って聞いたら」
声をひそめて
「“好きかもしれない人に彼女がいませんように”って願ってるって」
広哉の口が半開きになる。
雅人の呼吸が止まる。
「なにそれ! あんな綺麗で性格のいい子、百戦錬磨だろうに。そんな中学生みたいなお願い事してるの? 相談してくれたらいいのに……」
「で、相手は?」
「わかんない。なんか聞いちゃいけないような気がして、ふーんって言って終わっちゃったんだよね……」
「陽って人から色々相談されるのに、自分の事あんまり言わないよね。片思いの話聞いてあげるのに。」
「違う、私たちが先に話しすぎて陽が話す隙がないんだよ。今度話聞いてあげる会しようよ。」
「私達聞き役だからね」
「…できるかな…」
女子たちは笑いながら、ケーキを分け合っている。
その横で。
雅人はじっとテーブルを見つめていた。
カップに触れた指先が、少し震えている。
広哉が小声で囁く。
「……おい」
雅人はゆっくり顔を上げた。
その目は、今まで見たことがないほど真剣だった。
何事もなかったように、雅人と広哉は再び課題に向き合っていた。
紙をめくる音。
キーボードを打つ音。
カフェテラスに流れる小さなざわめき。
さっきまで胸を揺らした言葉だけが、雅人の中で静かに残っている。
隣の席の女子たちは、しばらく笑いながら話し、やがてコートを羽織って立ち上がった。
「またねー」
「よいお年を」
軽い声を残して、冬の光の中へ消えていく。
席に静けさが戻った。
広哉はしばらく黙っていたが、やがてペンを置き、雅人を見た。
「雅人、大丈夫か?」
雅人はすぐには答えなかった。
視線をノートに落としたまま、何度か小さく頷く。
それから、ようやく口を開いた。
「……大丈夫」
静かな声だった。
好きな人には、好きな人がいた。
そんなこと、考えればありえることなのに。
なぜか胸の奥が、じわりと痛んだ。
あの時空を見上げていたのはそうゆうことか…
自分が知らない誰かのことを願って、星に祈っていた陽。
その姿を思い出すだけで苦しくなる。
まだ何も始まっていない。
名前を知っただけだ。
やっと挨拶出来るようになっただけ。
それなのに。
雅人は初めて、自分がもう引き返せないところまで来ていることを知った。
雅人はしばらく黙ったまま、ノートを閉じた。
窓の外では、乾いた冬の風に木々が揺れている。
その景色をぼんやり見つめたあと、ふっと息を吐いた。
「……とりあえず、明日からパリ行くから」
「向こうで気持ち整理してくる」
コーヒーはもう冷めていた。
広哉は雅人の横顔を見ながら、少し探るように聞く。
「あきらめんの?」
雅人はすぐに首を振った。
「諦めない」
短く言い切ってから、少しだけ口元をゆるめる。
「今は失恋モードになってるけど、向こうで戦闘モードに切り替えてくる」
広哉は吹き出した。
「なんだよ、そのモード」
「そのままの意味だよ」
「じゃあ、いつでも協力するから。なんかあったら言えよ」
雅人は間髪入れずに答える。
「それは大丈夫。余計なことしないで」
「なんでなんだよ。協力させてくれよ」
「お前が入ると全部うるさくなるから」
「ひでぇな」
二人で笑った。
さっきまで胸に落ちていた重さが、少しだけ軽くなる。
広哉のこういうところに、救われる。
雅人は椅子にもたれ、天井を見上げる。
好きな人に、好きな人がいるかもしれない。
それでも、諦める理由にはならなかった。
明日からパリ。
遠い街の空気を吸って、頭を冷やして、それで帰ってきたら――
今度こそ、ちゃんと近づこう。
雅人の目に、静かな熱が戻っていた。
ガラス越しの冬の日差しが、白いテーブルにやわらかく落ちている。
雅人は広哉と向かい合い、課題の資料を広げていた。
コーヒーの湯気がゆっくり上がる。
「ここ、提出形式変わってない?」
広哉がノートを覗き込みながら言う。
その時、隣の席に女子学生三人が座った。
「冬休みも課題に追われて終わりそうだね」
「ほんと。全然遊びにも行けそうにないし」
「ねえ、今日陽は? 来ないの? 久しぶりにゆっくり話したかったのに」
雅人と広哉の手が、同時に止まった。
静かに顔を上げる。
気づかれないように視線を向けると、陽がいつも一緒にいる友人たちかもしれなかった。
「なんか課題やるって。みんなと違って物凄い頑張ってここ入ったから、普通にやってたら置いてかれるってさ。真面目だよね。全然大丈夫なのに」
「イブだからデートかと思った。モテるのに誰にもなびかないから、本命いるのかね」
雅人と広哉の耳は、完全にそちらへ向いていた。
「随分前だけど、色んなところでお祈りとか願掛けみたいのするから、何をそんなにお願いするの?って聞いたら」
声をひそめて
「“好きかもしれない人に彼女がいませんように”って願ってるって」
広哉の口が半開きになる。
雅人の呼吸が止まる。
「なにそれ! あんな綺麗で性格のいい子、百戦錬磨だろうに。そんな中学生みたいなお願い事してるの? 相談してくれたらいいのに……」
「で、相手は?」
「わかんない。なんか聞いちゃいけないような気がして、ふーんって言って終わっちゃったんだよね……」
「陽って人から色々相談されるのに、自分の事あんまり言わないよね。片思いの話聞いてあげるのに。」
「違う、私たちが先に話しすぎて陽が話す隙がないんだよ。今度話聞いてあげる会しようよ。」
「私達聞き役だからね」
「…できるかな…」
女子たちは笑いながら、ケーキを分け合っている。
その横で。
雅人はじっとテーブルを見つめていた。
カップに触れた指先が、少し震えている。
広哉が小声で囁く。
「……おい」
雅人はゆっくり顔を上げた。
その目は、今まで見たことがないほど真剣だった。
何事もなかったように、雅人と広哉は再び課題に向き合っていた。
紙をめくる音。
キーボードを打つ音。
カフェテラスに流れる小さなざわめき。
さっきまで胸を揺らした言葉だけが、雅人の中で静かに残っている。
隣の席の女子たちは、しばらく笑いながら話し、やがてコートを羽織って立ち上がった。
「またねー」
「よいお年を」
軽い声を残して、冬の光の中へ消えていく。
席に静けさが戻った。
広哉はしばらく黙っていたが、やがてペンを置き、雅人を見た。
「雅人、大丈夫か?」
雅人はすぐには答えなかった。
視線をノートに落としたまま、何度か小さく頷く。
それから、ようやく口を開いた。
「……大丈夫」
静かな声だった。
好きな人には、好きな人がいた。
そんなこと、考えればありえることなのに。
なぜか胸の奥が、じわりと痛んだ。
あの時空を見上げていたのはそうゆうことか…
自分が知らない誰かのことを願って、星に祈っていた陽。
その姿を思い出すだけで苦しくなる。
まだ何も始まっていない。
名前を知っただけだ。
やっと挨拶出来るようになっただけ。
それなのに。
雅人は初めて、自分がもう引き返せないところまで来ていることを知った。
雅人はしばらく黙ったまま、ノートを閉じた。
窓の外では、乾いた冬の風に木々が揺れている。
その景色をぼんやり見つめたあと、ふっと息を吐いた。
「……とりあえず、明日からパリ行くから」
「向こうで気持ち整理してくる」
コーヒーはもう冷めていた。
広哉は雅人の横顔を見ながら、少し探るように聞く。
「あきらめんの?」
雅人はすぐに首を振った。
「諦めない」
短く言い切ってから、少しだけ口元をゆるめる。
「今は失恋モードになってるけど、向こうで戦闘モードに切り替えてくる」
広哉は吹き出した。
「なんだよ、そのモード」
「そのままの意味だよ」
「じゃあ、いつでも協力するから。なんかあったら言えよ」
雅人は間髪入れずに答える。
「それは大丈夫。余計なことしないで」
「なんでなんだよ。協力させてくれよ」
「お前が入ると全部うるさくなるから」
「ひでぇな」
二人で笑った。
さっきまで胸に落ちていた重さが、少しだけ軽くなる。
広哉のこういうところに、救われる。
雅人は椅子にもたれ、天井を見上げる。
好きな人に、好きな人がいるかもしれない。
それでも、諦める理由にはならなかった。
明日からパリ。
遠い街の空気を吸って、頭を冷やして、それで帰ってきたら――
今度こそ、ちゃんと近づこう。
雅人の目に、静かな熱が戻っていた。