気付けば、隣にいた - 無愛想な同居人は、不器用に優しい。 -
本当の気持ち[So side]
家へ着くまで、茉桜はほとんど何も話さなかった。
玄関を開けても、いつもみたいに「ただいま」と笑うことはなく、そのままリビングのソファへ静かに腰を下ろす。
希遥と柊弥が心配そうに駆け寄る。
「茉桜ちゃん!?」
「どうしたの、その手!」
赤く残った手首の跡を見て、2人の表情が変わった。
俺は近くの救急箱から保冷剤を取り出し、タオルで包んで茉桜へ渡す。
「冷やせ」
「……ありがとう」
小さな声だった。
それだけで、胸が痛んだ。
柊弥が静かに尋ねる。
「何があった?」
茉桜は少しだけ俯いた。
それから、ぽつり、ぽつりと話し始める。
大学の帰り。
湊都が待っていたこと。
何度断ってもついてきたこと。
「離して」って言っても、手を放してくれなかったこと。
話すたびに、茉桜の肩が少しずつ震えていく。
思い出したくないんだろう。
それでも、ちゃんと伝えようとしている。
俺は何も言わずに聞いた。
途中で口を挟んだら、きっと最後まで話せなくなる。
そう思ったから。
「……怖かった」
最後にそう呟いた声は、今にも消えそうなくらい小さかった。
リビングが静まり返る。
希遥は目を潤ませ、柊弥も険しい顔で黙っていた。
俺は茉桜の赤く残った手首を見る。
そこに残る指の跡が、やけにはっきり見えた。
あの時、あと少し遅かったら。
そう考えただけで、奥歯を噛み締める。
「想?」
柊弥に名前を呼ばれて、我に返る。
俺は小さく息を吐いた。
「もう」
気付けば、言葉が口からこぼれていた。
「二度と、あいつには近付かせない」
自分でも驚くくらい、迷いのない声だった。
部屋が静かになる。
俺はその沈黙で、ようやく自分が何を言ったのか理解する。
前なら。
「シェアハウスの住人だから」
「放っておけないだけ」
そんな言い訳をしていたはずだ。
でも今は、違う。
違う理由を探そうとしても、見つからない。
茉桜が傷付くのは嫌だ。
泣くのも見たくない。
怖い思いをするくらいなら、全部俺が止めたい。
……好きなんだ。
その答えは、思ったよりずっと静かに胸へ落ちてきた。
否定する気には、もうなれなかった。