大正ハイカラ娘・朝霧すみれと新聞記者・小田切レンは謎を解く~傷だらけの花嫁は、もう一度恋をする

第3話 傷のある女だからこそ、幸せになるべきなの

洋子さんは、
 ゆっくり立ち上がった。

 包帯に隠れた顔。

 けれど。

 その瞳だけで、
 どれほど苦しんできたかがわかる。

「あそこは……」

 唇が震える。

「本当は、私の場所だったの」

 静かな部屋。

 時計の音だけが、
 やけに響く。

「婚約者だった人は」

 小さな声。

「最初は、私だけを見てくれていました」

 視線を落とす。

「でも、事故のあと――」

 指先が震えた。

「顔に傷ができた途端」

 一拍。

「人は変わるのね」

 胸が痛くなる。




 洋子さんは、
 自分の包帯をそっと押さえた。

「鏡を見るたび思うの」

 苦しそうな笑み。

「もう終わったって」

「女として」

「終わったんだって」

 私は息を呑んだ。

「こんな顔では」

 涙が落ちる。

「人前に出る資格も」

「男性とお付き合いする資格も」

「結婚する資格もない」

 洋子さんの声が震える。

「だって――」

 泣きそうな顔で、
 こちらを見る。

「女は、綺麗じゃなければ罪でしょう?」

 ……違う。

 そんなわけない。

 でも。

 きっと誰かに言われたんでしょう。

 きっと、
 たくさん傷ついたんでしょう。

 私はゆっくり近づいた。

「洋子さん」

 そっと言う。

「傷は、あなたの罪ではありません」

 洋子さんが、
 目を見開く。

「あなたは悪くない」

「でも……!」

「あなたは傷ついた」

 私は静かに言った。

「だからこそ、
 誰よりも幸せになっていいんです。
 しかし、だからと言って人を傷つけてはいけない。
 そうでしょう?
 不幸せの鎖であなた自身がしばられてしまう。

 さあ、教えてください。
 あなたは花嫁のブーケに何をしたんですか?

 話し終えたら、これを一緒にいただきましょう」

 ポケットから取り出したのは馬車道の人気店の包み紙。
 甘い香りが漂う。クッキーだ。


 洋子さんの目から涙が落ちる。
 包帯に涙がしみこんでいく。

 「中華街の黒魔術の店で、
  ふれるとやけどをするという粉を買いました。
  花屋が届けたブーケをほどいて、根元に粉を振りかけて……
  
  ああ、わたしったら、何と言うことをしてしまったのでしょう。
  今頃、被害にあった方々は……きっとこんなふうに……」

 洋子さんは包帯をほどいた。
 傷の見える顔があらわになった。


 そして、洋子さんは、
 なにも言えなくなった。




 その時だった。

 静かに。

 扉が開いた。

「失礼します」

 入ってきたのは、
 飯田だった。

 真面目そうな顔。

 少し緊張している。

「飯田……」

 洋子さんが目を伏せる。

「見ないで」

 震える声。

「こんな顔」

 飯田は、
 一歩前へ出た。

「どうして」

 苦しそうに言う。

「どうして、
 あなたは隠れてしまうんです」

「だって!」

 洋子さんが声を荒げた。

「醜いでしょう!」

 涙がこぼれる。

「こんな顔!」

「みんな怖がる!」

「みんな離れていく!」

「だから……!」

 その瞬間。

 飯田が、
 そっと頬に触れた。

「違う」

 低い声。

「僕は」





「あなたを愛しています」

 

 部屋が静まり返る。

 洋子さんの目が、
 大きく揺れた。

「うそ」

「うそじゃありません」

 飯田は、
 真っ直ぐ見つめる。

「あなたが笑うと嬉しい」

「泣くと苦しい」

「顔なんて関係ない」

 声が少し震える。

「あなたがあなただから」

 一歩近づく。

「好きなんです」

 洋子さんの肩が震える。

「でも……」

「全部知っています」

 飯田が言う。

「今日のことも」

「花嫁への復讐も」

「怒りも」

「悲しみも」




 飯田は目をつぶった。

「それでも」

 真っ直ぐ。

「あなたと生きたい」

 静かな声。

「どうか」

 深く頭を下げる。

「洋子さん、旦那様に身分の違いを許していただけたならですが……この飯田と結婚してください」

 ぽたり。

 涙が落ちた。

 包帯の端から、
 静かに流れていく。

 洋子さんは、
 拭おうとしない。

 ただ。

 息を止めたまま、
 じっと飯田を見ていた。

 私は、
 胸がいっぱいになる。

 隣を見る。

 小田切さんも、
 珍しく黙っていた。



 そして。

 ぽつり。

「……ずいぶん異例な事件だな」

 私は小さく笑う。

「ええ」

 一ーー深く息を吸った。

「でも」

 飯田さんと洋子さんを見る。

「いちばん美しい結末です」


◇◆◇

 後日。

 私たちは再び屋敷へ招かれた。

 洋子さんは――。

 包帯を外していた。

 傷を隠さない。

 少しだけ照れながら、
 でも確かに笑っている。

「すみれさん」

 優しい声。

「友人にも謝れました」

「ちゃんと」

「前を向いて生きてみます」


飯田さんも言った。

「一生幸せにすると約束をしました。
 そして、旦那様に結婚のお許しをいただきました。

 被害者の方々は幸い治療がうまくいき、
 やけど状態の跡が気にならないくらい回復されました。

 旦那さまから多額の慰謝料を持って、わたしはお嬢様とは謝罪に行きました。


 いつの日か、許していただけるよう、これからも謝罪を続けていきます」

 私は微笑む。

 新しいウエディングドレスの図案を広げた。

 ふわりとした七分袖。

 傷を優しく包み込むデザインのベール。

 飯田さんと洋子さんは、
 同じ一枚を指差した。

 顔を見合わせて、
 少し照れながら笑う。

 ……よかった。

 本当に。

「洋子さん」

 私は言った。

「自然な化粧もお任せください」

「傷は隠すんじゃなくて、
 あなたの一部として美しく見せましょう」

 洋子さんが泣き笑いする。

「ありがとう」

「すみれさん」

 帰り道。

 横浜の空は、
 夕焼けに染まっていた。

「今回の主役は」

 小田切さんが言う。

「君だったね、すみれさん」

「そんなことありません」

「いや」

 少し笑う。

「ボクは今日、
 美味しい焼き菓子を買いに行かなくちゃいけない。約束したからね。ちょっと女たらしに見える?」

 ……自覚あるんだ。

 思わず笑ってしまう。

「でも」

 彼が少しだけ真面目になる。

「すみれさん、君がいなかったら、
 誰も洋子さんを救えなかった」

 低い声。

「ありがとう」

 …………。

 だめ。

 急に真面目になるの。

 心臓に悪い。

 私は空を見上げた。

 起こした事件は、
 決して許されるものではない。

 けれど。

 それでも。

 救われた未来が、
 確かにあった。

 ――朝霧すみれは今日も横浜で、

 嘘を縫いほどく。
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