『お姉ちゃんだから』と我慢し続けてきた令嬢、ついにブチ切れる【完結まで毎日更新!】


05.お姉ちゃんがいなくなった四日間



 それから私は、母が亡くなって以来初めて、全ての仕事を放り出して自室の扉に鍵をかけた。

 気が済むまで泣き、泥のように眠り、覚醒すればまた、勝手に涙が溢れる。


 今朝、食堂へ向かう前に全侍女を解雇し、古参の老執事夫婦にも長期の休暇を命じておいた。
 私が手を止めただけで、屋敷にかかっていた魔法が解けたかのように、広大な空間はしんとその営みを止めた。それは、私が支えてきたこの家が、いかに血の通わない虚飾の城であったかを証明していた。

「これ、どうやって火を消すんだい!?」
「お姉ちゃん、お腹すいたよぉ!」
「ちょっとあなた、何とかしなさいよ!」

 ……ときどき扉の向こうで、何かが砕ける音や耳障りな悲鳴が響く。だが私は、それらすべてを拒絶するように、布団の海へと深く潜り込んだ。




 その頃。
 屋敷では、文字通りの地獄が顕現していた。


 父は、執務室に入った瞬間に激しく()せた。

「……なぜだ、たった一日でこんなに埃が積もるものなのか?」

 ソフィーは毎日、風を薄く床に滑らせて、埃を部屋の隅へ、そしてときに窓の外へと「掃き出す」流れを作っていた。
 それが止まった途端、屋敷は一気に人の住処とは思えない、澱んだ廃屋のような空気を帯び始める。

 自分が吸っていた清浄な空気さえもが、娘のたゆまぬ魔力調整という名の献身だったのだ。その答えにたどり着いたとき、父はその場に膝をついた。

 せめて水で洗い流そうと出した彼の『水魔法』は、精密さを欠いたせいで濁った泥水を噴水のように撒き散らすことしかできず、高級な絨毯を無惨に汚した。

 

 継母は、洗濯板で洗って干したはずのドレスを見て悲鳴を上げた。

「嫌だわ、ちっとも乾いていないし、皴だらけ。その上……なんだか雑巾みたいな臭いがするわ……!」

 今まで高価なドレスは、ソフィーが風魔法で絶妙な『乾燥の風』を当てていた。湿気を飛ばし、繊維の奥の汚れを風圧で叩きだしていたのだ。

 ソフィーがいなければ、布一枚乾かすこともできず、高級な絹も台無しになる事実に、彼女は愕然とした。

 フルールに強請られて台所に立ったが、火の(おこ)し方すら知らない彼女は、台所で(すす)まみれになっていた。
 手入れを欠かさなかった髪は、炎に焼かれて焦げ臭さを漂わせ、宝石のように磨いていた指先は、黒い煤と剥げた爪紅で無惨に汚れ果てている。


 フルールは、冷めきったスープを前に泣きそうになっていた。

「お姉ちゃんなら、風をぐるぐるかき混ぜて、すぐに熱々にしてくれたのに……」

 空気の摩擦で「コップ一杯分だけ」を効率よく温めるソフィーの職人技。それが失われた食卓は、あまりに寒々しい。

 空腹に耐えかねた彼女は、庭の果実を『緑魔法』で無理やり育てようとした。だが、制御を失い巨大化した蔓草(つるくさ)は蛇のように屋敷に絡みつき、もはや窓を開けることすら叶わない異様な密林を作り出していた。


 私が毎日、風魔法で埃を飛ばし、洗濯物を乾かし、絶妙な火力で食事を調えていた「日常」。

 それがどれほど多岐にわたる魔力運用と、私の献身によって守られていた「奇跡」であったか、彼らは自分たちが泥と(すす)(つる)にまみれるまで、想像したことさえなかったのだ。



 さすがに彼らも諦めたのか、秒針の刻む音さえ重苦しい、漆黒の深夜。

 こんな絶望の淵にいても、喉は渇き、お腹は空く。
 身体の生理機能が、私の心とは無関係に生きようとしていることが、酷く惨めで、忌々(いまいま)しかった。

 水だけでも口にしようと部屋の扉を開けると、足元に水差しとドライフルーツが置かれていた。休ませたはずの老執事が、せめてもの情けで用意してくれたのだろうか。

 私は機械的な動作でそれを受け取り、光を拒絶するように、再び底のない暗闇へと身を隠した。



 私は、心のどこかでずっと、祈るように待っていたのだ。


 明日が来れば。
 あの日の約束どおり、初恋の王子様(レオ)が迎えに来てくれるのではないかと。



 ――けれど。

 私の十八歳の誕生日は、救いの便り一つ届かぬまま、あまりにもあっけなく、無慈悲に過ぎ去っていった。



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