理系喪女の私がこんなにモテていいわけがない
「――アホか、お前。あんなもんすぐに断れ」
自分たちの研究室に戻ってドアを閉めたところで住良木さんにずばり指摘される。うう、やっぱり全部聞かれていたみたい。絶望。
「だって、一晩我慢すれば論文一本ですよ。ただご飯食べるだけかもしれないし悪い話じゃないじゃないですか」
一応私の言い分を付け加えてみる。子どもじゃないんだからそれでは済まないってことぐらい十分わかってるんだけど。
「そんなわけねーだろ。二人きりでホテルで飯食ったらやることは一つだろ。んで後はお前のキャリアを餌にして愛人みたいにされるぜ。お前、あんなジジイの食い物にされたいのかよ。よく考えろ」
住良木さんが言葉を選ばずに私を抉ってくる。そんなことは言われなくてもわかってるよ。私だって馬鹿じゃない。けど――。
「それでも研究成果が欲しかったんですよ! 実績もあって何でもできる住良木さんには私の気持ち、分かりませんよ!」
不覚にも涙が滲んでくる。私にないものを全て持ち合わせている住良木皐月の前で泣きたくなんかない。悔しい、悔しい、悔しい。
「ああもう泣くな。めんどくせぇ。こういう時はあれだ、酒。飲み行くぞ、相川」
腹が立つ、教授にも住良木さんにも。でもこんな夜は確かにアルコールの力を借りるしかなさそうだ。私は悔し涙を滲ませながらものろのろと住良木さんに続いて研究室を後にした。
* * *
「要するにお前は運がなさすぎる」
大学から二駅ほど先にある繁華街の安居酒屋で、私よりもよく飲み、食べる住良木皐月に私はそう言い渡されていた。
金曜日の夜。昭和の下町みたいな雑然とした居酒屋は大勢のサラリーマン客で賑わっていた。パーテーションで区切られただけの小上がりの小さいテーブルで、私は枝豆や焼き鳥を肴に住良木さんと向かい合ってビールを飲んでいた。
住良木さんとこんな場所でサシ飲みするのは何だか不思議な気分。
一応、研究室仲間なので、大学の近所でラボのグループで飲みとかご飯とかに行く機会はあったが、二人きりは初めてかもしれない。この繁華街も以前は長期休暇の時にたまに遊びに来ていたが、博士課程に進んでからはめっきり足が遠のいていた。すっかり理系喪女になっちゃったな、私。遊びもデートもこのところ皆無だったことに密かにショックを受ける。
「運なんて、そんなの自分じゃどうしようもないじゃないですか」
「そうだな」
住良木さんは私の愚痴を一通り聞いた後、そんな感想で締めくくっていた。やっぱり私は不運なのか。それって本当に手の施しようがない。
「まあ今の時代、AIとかである程度、意味のある仮説は立てられるけど最終的には研究者の勘と運次第ってとこもまだかなりあるからな。お前の場合はそれが圧倒的になさすぎるから仕方がない」
住良木さんがワイルドに手羽先に齧りつきながら話す。私は研究なんかに励まず神社にでも参っていた方がいいのかもしれない。
「こんなに努力して真面目にやっても最後は運で決まるなんて、一体、化学って何なんですかね。もう嫌になりましたよ」
就活も研究も教授さえも、全て外れを引いた私にはもう何も残っていないのかな。もう無理かも。限界。
「――辞めちゃおうかな」
弱音をぽろりと吐く。ちょっと言ってみただけだけど、結構本気かもしれない、私。
「マジで」
住良木さんが大して驚きもしないで返す。まあ、私が辞めても彼には関係ないよね。
「だって教授にあんな目で見られてたらもう論文も無理ですし、研究職だって狭き門で女で年食ってちゃ基本無理じゃないですか。この辺で見切りをつけてどっかのメーカーにでも普通に就職して粛々と人生を送るのもありかなって」
思い付きで言ってみたけど、そういう人生もあるのだと今閃いたかのように考え直す。研究職、研究職ってずっと一点張りで頑張っていたけどそれだけが人生ではない。普通の会社に就職して、そこで社内恋愛でもして、結婚して子育てして、なんて人生も私には待っているかもしれない。
「本気で言ってる?」
「まあ、半分本気です」
思い付きではあるが、全くの絵空事ではない。今回の教授の件は残念だったけど、自分を見つめ直すいい機会だったかもしれない。
「うーん、あのエロジジイのところに後二年っていうのも正直キツいしなぁ」
住良木さんが独り言のように呟く。私もそれには同意できる。
「あのさ、ここだけの話にしてほしいんだけど」
住良木さんが私のほうに顔を寄せて声を潜める。うわ、イケメンの至近距離。天然の茶色い長髪が額にさらりと落ちる破壊力にどきりとするが住良木さんはそんなことお構いなしに、周囲を少し気にして、私にこっそりと告げる。
「俺、今年度末で辞めるんだよ。特別研究員」
「え、そうなんですか!?」
驚いて大声を上げてしまう。住良木さんがしーっと口元に指先を持っていってジェスチャーする。
「誰にも言うなよ。まだ秘密だから」
そうなんだ、住良木さん。出来る人だから引き抜きかな。研究員の人事は流動的だからそんなに驚くことでもなかったかも。住良木さんの傍若無人な態度に小言ばかり言ってきたけどその対象がいなくなると思うとなんか寂しい。
自分たちの研究室に戻ってドアを閉めたところで住良木さんにずばり指摘される。うう、やっぱり全部聞かれていたみたい。絶望。
「だって、一晩我慢すれば論文一本ですよ。ただご飯食べるだけかもしれないし悪い話じゃないじゃないですか」
一応私の言い分を付け加えてみる。子どもじゃないんだからそれでは済まないってことぐらい十分わかってるんだけど。
「そんなわけねーだろ。二人きりでホテルで飯食ったらやることは一つだろ。んで後はお前のキャリアを餌にして愛人みたいにされるぜ。お前、あんなジジイの食い物にされたいのかよ。よく考えろ」
住良木さんが言葉を選ばずに私を抉ってくる。そんなことは言われなくてもわかってるよ。私だって馬鹿じゃない。けど――。
「それでも研究成果が欲しかったんですよ! 実績もあって何でもできる住良木さんには私の気持ち、分かりませんよ!」
不覚にも涙が滲んでくる。私にないものを全て持ち合わせている住良木皐月の前で泣きたくなんかない。悔しい、悔しい、悔しい。
「ああもう泣くな。めんどくせぇ。こういう時はあれだ、酒。飲み行くぞ、相川」
腹が立つ、教授にも住良木さんにも。でもこんな夜は確かにアルコールの力を借りるしかなさそうだ。私は悔し涙を滲ませながらものろのろと住良木さんに続いて研究室を後にした。
* * *
「要するにお前は運がなさすぎる」
大学から二駅ほど先にある繁華街の安居酒屋で、私よりもよく飲み、食べる住良木皐月に私はそう言い渡されていた。
金曜日の夜。昭和の下町みたいな雑然とした居酒屋は大勢のサラリーマン客で賑わっていた。パーテーションで区切られただけの小上がりの小さいテーブルで、私は枝豆や焼き鳥を肴に住良木さんと向かい合ってビールを飲んでいた。
住良木さんとこんな場所でサシ飲みするのは何だか不思議な気分。
一応、研究室仲間なので、大学の近所でラボのグループで飲みとかご飯とかに行く機会はあったが、二人きりは初めてかもしれない。この繁華街も以前は長期休暇の時にたまに遊びに来ていたが、博士課程に進んでからはめっきり足が遠のいていた。すっかり理系喪女になっちゃったな、私。遊びもデートもこのところ皆無だったことに密かにショックを受ける。
「運なんて、そんなの自分じゃどうしようもないじゃないですか」
「そうだな」
住良木さんは私の愚痴を一通り聞いた後、そんな感想で締めくくっていた。やっぱり私は不運なのか。それって本当に手の施しようがない。
「まあ今の時代、AIとかである程度、意味のある仮説は立てられるけど最終的には研究者の勘と運次第ってとこもまだかなりあるからな。お前の場合はそれが圧倒的になさすぎるから仕方がない」
住良木さんがワイルドに手羽先に齧りつきながら話す。私は研究なんかに励まず神社にでも参っていた方がいいのかもしれない。
「こんなに努力して真面目にやっても最後は運で決まるなんて、一体、化学って何なんですかね。もう嫌になりましたよ」
就活も研究も教授さえも、全て外れを引いた私にはもう何も残っていないのかな。もう無理かも。限界。
「――辞めちゃおうかな」
弱音をぽろりと吐く。ちょっと言ってみただけだけど、結構本気かもしれない、私。
「マジで」
住良木さんが大して驚きもしないで返す。まあ、私が辞めても彼には関係ないよね。
「だって教授にあんな目で見られてたらもう論文も無理ですし、研究職だって狭き門で女で年食ってちゃ基本無理じゃないですか。この辺で見切りをつけてどっかのメーカーにでも普通に就職して粛々と人生を送るのもありかなって」
思い付きで言ってみたけど、そういう人生もあるのだと今閃いたかのように考え直す。研究職、研究職ってずっと一点張りで頑張っていたけどそれだけが人生ではない。普通の会社に就職して、そこで社内恋愛でもして、結婚して子育てして、なんて人生も私には待っているかもしれない。
「本気で言ってる?」
「まあ、半分本気です」
思い付きではあるが、全くの絵空事ではない。今回の教授の件は残念だったけど、自分を見つめ直すいい機会だったかもしれない。
「うーん、あのエロジジイのところに後二年っていうのも正直キツいしなぁ」
住良木さんが独り言のように呟く。私もそれには同意できる。
「あのさ、ここだけの話にしてほしいんだけど」
住良木さんが私のほうに顔を寄せて声を潜める。うわ、イケメンの至近距離。天然の茶色い長髪が額にさらりと落ちる破壊力にどきりとするが住良木さんはそんなことお構いなしに、周囲を少し気にして、私にこっそりと告げる。
「俺、今年度末で辞めるんだよ。特別研究員」
「え、そうなんですか!?」
驚いて大声を上げてしまう。住良木さんがしーっと口元に指先を持っていってジェスチャーする。
「誰にも言うなよ。まだ秘密だから」
そうなんだ、住良木さん。出来る人だから引き抜きかな。研究員の人事は流動的だからそんなに驚くことでもなかったかも。住良木さんの傍若無人な態度に小言ばかり言ってきたけどその対象がいなくなると思うとなんか寂しい。