理系喪女の私がこんなにモテていいわけがない
番外編2-2
「……はぁ~」

 私はまた新技術開発支援研究所の実験室で一人、大きな溜息をついた。

 今朝は恒温槽から取り出した化合物をカラムクロマトグラフィーにかけるところから一日が始まった。私がこんなんでも、うちの研究所の最新鋭の機器は優秀で素早く正確に分析を行ってくれる。

 今日は金曜日。先週末、引っ越しして、その際に住良木さんに別れを告げてから五日が経った。

 ――重いんだよな。雰囲気が。

 予想はしていたものの、それ以来、住良木さんは私と必要事項以外の会話はしなくなった。ほぼ二人きりの実験室でも私を無視するようにして、研究に没頭している。

 ――二年前の再来だよ。

 早染大学の院部屋で色々あった日々を思い出す。でも、あの時は笠井君がいたからな。ある種の緩衝材のような役割を担ってくれて、ここまでの険悪さにはならなかった。

 ――今はどう頑張っても二人きりなんだよね。

 私はまた盛大な溜息をつく。これだけはぁはぁ言っていても今日は突っ込みを入れる声は響かない。ていうか、住良木さん、まだ来ていないし。遅くないか? 遅刻? この研究所に就任してからは遅刻しなくなったはずだけど、飲んで潰れて寝ているとかかな。いやいや、そうだとしても遅すぎでしょ。体調不良とかなら連絡するだろうし。

 ちょっと不審に思って白衣の中のスマートフォンで時間を確認する。九時二十三分だ。さすがにおかしい。ちょっと電話してみようか。

 私が携帯を操作しようとしていると、通路を慌てふためいた様子で駆けてくる樽見さんの姿が窓越しに見えた。――ん? なんだろう。あんなに慌てているの初めて見た。

「相川さん。住良木から連絡あった?」

 樽見さんは実験室に入るなり挨拶もそこそこに息を切らして私に尋ねた。びしっとした隙のないスーツ姿。今日もどこかの偉い人たちと打ち合わせかな。樽見さんはCEOだけど営業のような仕事も兼ねているから、いつも忙しそうだ。朝晩は研究所にいるけど、昼間は不在のことが多い。

「いいえ、ないですけど。どうしました?」

 私はただ事ではない彼の様子に慄いた。――何だろう。胸がざわざわする。

「ああ、そうか。いいや。ちょっとこっち来て」

 樽見さんは息を切らせて今度は急ぎ足でCEOの執務室に向かう。私も良からぬ気配を感じて、その後を追った。

「ちょっとこれ見て」

 樽見さんが、ほとんどつけているのを見かけない壁面のテレビをつける。朝のワイドショーらしき映像が流れている。コメンテーターの人たちがスタジオで話し合う様子が数分映る。その後、映像が切り替わって電車とトラックが入り交じっている踏切付近の様子を空撮したような中継映像になった。

 ――え、なにこれ。

 私はごくりと唾を飲み込んだ。それは、私営鉄道の電車が大型トラックと踏切で衝突し、脱線している事故現場の映像だった。踏切横に転がった不自然に荷台が曲がったトラック、鉄道車両の一両目が線路から外れて煙を上げている。その車両はぼこんとひしゃげており、見慣れた青いラインが奇妙に歪んでいた。消防車や救急車が何台も事故現場周辺に停まって、騒然とした様子が映し出されている。

「これ、住良木が使っている路線だよね」

 樽見さんが私に話しかける。私は何とか気を保って首をこくんと縦に振った。

「――朝の通勤時間帯の大事故となり、負傷者が多数出ている模様――死者がいるかは現在も不明――」

 真っ白になりつつある頭にニュースのアナウンスが途切れ途切れに響く。

 ――なにこれ。

「……川さん? 相川さん? 大丈夫? 顔真っ青だよ」

 樽見さんに話しかけられてはっと意識を取り戻す。そうだ、電話。さっきかけようと思っていた。きっと住良木さんのことだから寝坊して電車に乗っていないなんてこともあるはず。

 私は震える手で住良木さんに電話をかけた。ぷつぷつとした音の後に「――お客様の電話は、電波の届かない所にあるか、電源が入っていないため――」という音声ガイダンスが流れる。

 ――嘘。血の気が引いていく。身体が足元から砂になって崩れ落ちそう。私は携帯を耳に当てたまま、呆然と立ちすくんでいた。

「すぐに安否確認したいんだけど、僕、これからどうしても出席しなきゃいけない会議があって。悪いんだけど相川さん、住良木の事、確かめてきてくれる? ラボの方はもういいから。これ関係先の病院。住良木、乗っていなかったとしても、行けばなんかわかると思うから」

 樽見さんがメモを私に差し出す。私は呆然自失でそのメモを受け取った。

「――相川さん、大丈夫?」

 心配そうな樽見さんに念を押される。やばい、頭が真っ白になりかけていた。なんだか現実感がない。この事故現場のニュース映像も強張った表情の樽見さんも全部、夢の中の出来事みたい。

「はい、大丈夫です」

 私は震える声で何とか応答した。こんなの全部、悪い夢に決まっている。この執務室のドアを出たらきっと目が覚める。

「無事が分かったらすぐに連絡して。メッセージでも構わないから」

 じゃあ、よろしくお願いします、と樽見さんは急ぎ足で執務室を後にした。私もまた、崩壊寸前の意識の中で、小さなメモを握りしめて執務室を出た。
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