理系喪女の私がこんなにモテていいわけがない
飛び交う怒号。病院の出入口を何台も行き交うストレッチャー。詰めかけた報道陣と、私のように大切な人の安否を確認しに来た人々の波。
私は研究所を出た足でタクシーを拾って病院へ向かった。普段は平穏な近隣の都立病院、その出入口付近はまるで野戦病院になったみたいにたくさんの人々と負傷者と救急車とで溢れかえっていた。
混雑に巻き込まれないよう少し離れたところでタクシーを降りた私はその様子にぞっとする。また血の気が足元から引いていくのが分かる。
――これは嘘だ。全てまやかし。何とか自分を誤魔化して病院へと進む。
「ちょっと通して!」
「この方、重症です! ICUお願いします!」
「お父さん! お父さんが……!!」
「嘘でしょ?! まだ治療できないの?! 早くしてよ!!」
「そこ! 邪魔だからどいて!」
入口付近の混乱に巻き込まれ、院内になかなか辿り着けずに押し戻される。やはりまるで現実味がない。もしこれが現実なのだとしたら、神様が私に与えた罰だ。
――住良木さんのこと、空気みたいだなんて言っちゃった罰。セフレだなんて軽いこと言っちゃった罰。本当は私にとってこんなに大切な人なのに簡単に手放そうとした罰――。
病院の見慣れない混乱した様子に涙が滲む。私、馬鹿すぎる。住良木さんが空気なわけないし、この二年間、何も考えずに身体を重ねていたわけじゃない。笠井君みたいに「大好き!」とはならないけれど、私にとって住良木さんは絶対的な安心感を与えてくれる、必要不可欠な存在だった。
美味しそうに学食でご飯を食べる住良木さん、実験が終わって大きく伸びをする住良木さん、苛々して玄関で悪態をつく住良木さん、ソファで私を抱きしめて満足そうにキスをする住良木さん――。
今までの住良木さんの全ての映像が私の頭の中でフラッシュバックする。
――嫌だ、住良木さんがいなくなるなんて絶対に嫌。目が霞む。涙が溢れる。怒号が飛び交う病院のエントランス付近で私は一人立ちすくんでぽろぽろと泣いていた。
「――何泣いてんだ。お前」
聞き慣れた声。私はふと後ろを振り返る。
――住良木さん。右の前腕に包帯を巻いている。全身が埃っぽく汚れているけれど、腕まくりをして黒いパーカーを羽織った、いつもの不良みたいな恰好をした住良木さんがそこにいた。
「住良木さん……」
「もしかして、俺が死んだと思った?」
にやっと笑って近づいてくる。私も彼に駆け寄る。彼の腕が開かれる。私は怪我をしている方の腕を傷つけないようにそっとその腕の中に収まった。
「怖かったですー、住良木さん」
私は住良木さんの服に涙と鼻水をつけながらわんわん泣いた。住良木さんが私を抱きしめながら髪を優しく撫でてくれる。
「ごめんな。携帯の充電切れてて連絡できなくて。まさかこんなことに巻き込まれるなんて思ってなかったから」
だはは、と住良木さんが笑う。「笑い事じゃない!」と私はその胸を軽く叩く。
「ごめんって。でも、何でそんな泣いてんだよ。俺、セフレなんだろ? 別れるんだろ? どうでもよくね?」
住良木さんが私をそっと抱きしめながら尋ねる。私たちの傍らを人々が通り抜けていく。混乱の最中、入り口付近で抱き合っている男女に誰も気を留めない。皆、自分たちのことで精一杯だ。人命救助、安否確認――皆、それぞれ大切な人がいて、それぞれ必死の思いで駆け抜けていく。
「ひどいこと言ってごめんなさい。住良木さんはセフレなんかじゃなかったです。私の大切な人です」
私はしゃくりあげながら、鼻水を流しながら住良木さんを力いっぱい抱きしめた。大きくてあったかい。いつもの柑橘の香り。もう絶対に手放してはいけない。
「だから、もう絶対に離れないでください。一生一緒です」
恐らくひどい状態であろう顔をぎゅっと住良木さんの胸に押し付ける。「ははっそうか」と住良木さんが愉快そうに笑って、怪我をしていないほうの手で私の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「じゃあさ、ついでに頼みごと一つ聞いてほしいんだけど」
頬に住良木さんの手が触れて、私の顔を包み込む。見せたくないけど涙で濡れた顔を住良木さんに晒す。その顔を住良木さんが愛おしそうに見つめる。
「――何ですか」
「あのマンションにさ、俺も一緒に住んでいい? あれ、絶対、カップル向け物件じゃね?」
優しく揺れる灰色の瞳。この綺麗な瞳を毎日この距離で拝めるのだとしたら、今世紀最大のラッキーでしかない。
「――いいですけど、エレベーターないですよ」
「だはは、そうだったなあ!」
豪快に笑うと住良木さんは涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった私の顔に唇を落とした。全ての喧騒から切り離される。幸せな浮遊感に時が止まる。
この人と、ここでこうやってキスしていること自体、奇跡みたいなものだ。
そう思うとまたこの世の全てが愛おしくなって私は一人涙を流しながら、その柔らかな唇をいつまでも、いつまでも堪能した。
私は研究所を出た足でタクシーを拾って病院へ向かった。普段は平穏な近隣の都立病院、その出入口付近はまるで野戦病院になったみたいにたくさんの人々と負傷者と救急車とで溢れかえっていた。
混雑に巻き込まれないよう少し離れたところでタクシーを降りた私はその様子にぞっとする。また血の気が足元から引いていくのが分かる。
――これは嘘だ。全てまやかし。何とか自分を誤魔化して病院へと進む。
「ちょっと通して!」
「この方、重症です! ICUお願いします!」
「お父さん! お父さんが……!!」
「嘘でしょ?! まだ治療できないの?! 早くしてよ!!」
「そこ! 邪魔だからどいて!」
入口付近の混乱に巻き込まれ、院内になかなか辿り着けずに押し戻される。やはりまるで現実味がない。もしこれが現実なのだとしたら、神様が私に与えた罰だ。
――住良木さんのこと、空気みたいだなんて言っちゃった罰。セフレだなんて軽いこと言っちゃった罰。本当は私にとってこんなに大切な人なのに簡単に手放そうとした罰――。
病院の見慣れない混乱した様子に涙が滲む。私、馬鹿すぎる。住良木さんが空気なわけないし、この二年間、何も考えずに身体を重ねていたわけじゃない。笠井君みたいに「大好き!」とはならないけれど、私にとって住良木さんは絶対的な安心感を与えてくれる、必要不可欠な存在だった。
美味しそうに学食でご飯を食べる住良木さん、実験が終わって大きく伸びをする住良木さん、苛々して玄関で悪態をつく住良木さん、ソファで私を抱きしめて満足そうにキスをする住良木さん――。
今までの住良木さんの全ての映像が私の頭の中でフラッシュバックする。
――嫌だ、住良木さんがいなくなるなんて絶対に嫌。目が霞む。涙が溢れる。怒号が飛び交う病院のエントランス付近で私は一人立ちすくんでぽろぽろと泣いていた。
「――何泣いてんだ。お前」
聞き慣れた声。私はふと後ろを振り返る。
――住良木さん。右の前腕に包帯を巻いている。全身が埃っぽく汚れているけれど、腕まくりをして黒いパーカーを羽織った、いつもの不良みたいな恰好をした住良木さんがそこにいた。
「住良木さん……」
「もしかして、俺が死んだと思った?」
にやっと笑って近づいてくる。私も彼に駆け寄る。彼の腕が開かれる。私は怪我をしている方の腕を傷つけないようにそっとその腕の中に収まった。
「怖かったですー、住良木さん」
私は住良木さんの服に涙と鼻水をつけながらわんわん泣いた。住良木さんが私を抱きしめながら髪を優しく撫でてくれる。
「ごめんな。携帯の充電切れてて連絡できなくて。まさかこんなことに巻き込まれるなんて思ってなかったから」
だはは、と住良木さんが笑う。「笑い事じゃない!」と私はその胸を軽く叩く。
「ごめんって。でも、何でそんな泣いてんだよ。俺、セフレなんだろ? 別れるんだろ? どうでもよくね?」
住良木さんが私をそっと抱きしめながら尋ねる。私たちの傍らを人々が通り抜けていく。混乱の最中、入り口付近で抱き合っている男女に誰も気を留めない。皆、自分たちのことで精一杯だ。人命救助、安否確認――皆、それぞれ大切な人がいて、それぞれ必死の思いで駆け抜けていく。
「ひどいこと言ってごめんなさい。住良木さんはセフレなんかじゃなかったです。私の大切な人です」
私はしゃくりあげながら、鼻水を流しながら住良木さんを力いっぱい抱きしめた。大きくてあったかい。いつもの柑橘の香り。もう絶対に手放してはいけない。
「だから、もう絶対に離れないでください。一生一緒です」
恐らくひどい状態であろう顔をぎゅっと住良木さんの胸に押し付ける。「ははっそうか」と住良木さんが愉快そうに笑って、怪我をしていないほうの手で私の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「じゃあさ、ついでに頼みごと一つ聞いてほしいんだけど」
頬に住良木さんの手が触れて、私の顔を包み込む。見せたくないけど涙で濡れた顔を住良木さんに晒す。その顔を住良木さんが愛おしそうに見つめる。
「――何ですか」
「あのマンションにさ、俺も一緒に住んでいい? あれ、絶対、カップル向け物件じゃね?」
優しく揺れる灰色の瞳。この綺麗な瞳を毎日この距離で拝めるのだとしたら、今世紀最大のラッキーでしかない。
「――いいですけど、エレベーターないですよ」
「だはは、そうだったなあ!」
豪快に笑うと住良木さんは涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった私の顔に唇を落とした。全ての喧騒から切り離される。幸せな浮遊感に時が止まる。
この人と、ここでこうやってキスしていること自体、奇跡みたいなものだ。
そう思うとまたこの世の全てが愛おしくなって私は一人涙を流しながら、その柔らかな唇をいつまでも、いつまでも堪能した。