選べなかった恋の続きを、君と紡いで
「びっくりした。汐月くん、明星出版で働いてたんだね」
「うん、漫画部署の営業なんだ。七瀬は小説関係?」
「そう、今日は大椛さんと打ち合わせで」
「え。ってことは、作家?」
「まだ駆け出しだけどね」
指で頬を掻きながら苦笑すると、汐月くんが目を丸くした。
「すごいよ。昔、小説が一番好きだって言ってたもんな」
汐月くんの口元が優しくほころぶ。新幹線で再会した時よりも幾分解けた表情に、昔の面影が重なった。
あ……と中学の頃の記憶が蘇る。一年生で図書委員になった時、私は委員の日に、誰にも頼まれていない本棚の掃除をしていたことがあった。といっても、たかだか中学生にできることは限られているので、ただ本が綺麗な状態であればいいな、という願いから埃を払ったり日が当たらないようにカーテンを閉めたりそんな些細なことをしていただけだった。司書さんにも気づかれなかったことだったのに、ある日の放課後、汐月くんとカウンターに入っている時に突如言われたのだ。
――七瀬さんの本を大事にする姿勢、素敵だと思う。
きょとんとする私に、汐月くんは「いつも見えないところで掃除をしてくれてるから」と淡々と続けた。まさか知られているとは思わなくて、びっくりした後、つい頬が緩んでしまった。完全な自己満足だったし誰かに褒められたくてしていたつもりではなかったけれど、自分の姿勢を拾い上げて褒めてくれる人がいるというのは素直に嬉しかった。
あれはたしか六月。梅雨が始まりじめじめとした日が続きながらも、ようやく中学生活にも慣れてきた日のことだった。
それまであまり話したことがなく、汐月くんは言葉数が多いほうでもなかったから、あまり無駄話をしたくないタイプなのかもしれない、と距離感を窺っていた。けれど、このことをきっかけに私から積極的に話しかけてみるようになったのだ。
汐月くんはたしかに無口でどちらかといえば表情が乏しいタイプではあったけれど、少ない言葉の中に優しさがにじむ人だった。勝手に貼っていたレッテルを剥がして接していくうちにだんだん親しくなって、汐月くんが引っ越すまではよくいろんな話をした。
そんなことがあったからか、汐月くんの褒め言葉は疑いようがなく、まっすぐに本音として胸に届いた。受け止めた心が温かくなっていく。
エレベーターがエントランスのある一階に到着すると、汐月くんはまた先に私を下ろしてくれた。
明星出版のビルを出ると、既に薄暗くなった空と街に迎えられる。十月の十九時はもうすっかり夜だ。
もう少し話したい。今の汐月くんの話が聞きたいな。
このまま別れるのは後ろ髪を引かれるどころじゃない気がして、気づけば「あのっ……!」と声を張り上げていた。
一歩先にいた汐月くんが、ジャケットを羽織りながら驚いたように振り返る。車のヘッドライトが目元のホクロを照らした。
「今って、もう帰り?」
「うん?」
「もしこの後予定とかなかったらなんだけど……」
特に表情を変えない汐月くんに向かって、すうっと息を吸う。
「よ、よかったら一緒にご飯行かない……!?」
思ったよりも前のめりで声を発した私に、汐月くんが目を瞬かせた。
「うん、漫画部署の営業なんだ。七瀬は小説関係?」
「そう、今日は大椛さんと打ち合わせで」
「え。ってことは、作家?」
「まだ駆け出しだけどね」
指で頬を掻きながら苦笑すると、汐月くんが目を丸くした。
「すごいよ。昔、小説が一番好きだって言ってたもんな」
汐月くんの口元が優しくほころぶ。新幹線で再会した時よりも幾分解けた表情に、昔の面影が重なった。
あ……と中学の頃の記憶が蘇る。一年生で図書委員になった時、私は委員の日に、誰にも頼まれていない本棚の掃除をしていたことがあった。といっても、たかだか中学生にできることは限られているので、ただ本が綺麗な状態であればいいな、という願いから埃を払ったり日が当たらないようにカーテンを閉めたりそんな些細なことをしていただけだった。司書さんにも気づかれなかったことだったのに、ある日の放課後、汐月くんとカウンターに入っている時に突如言われたのだ。
――七瀬さんの本を大事にする姿勢、素敵だと思う。
きょとんとする私に、汐月くんは「いつも見えないところで掃除をしてくれてるから」と淡々と続けた。まさか知られているとは思わなくて、びっくりした後、つい頬が緩んでしまった。完全な自己満足だったし誰かに褒められたくてしていたつもりではなかったけれど、自分の姿勢を拾い上げて褒めてくれる人がいるというのは素直に嬉しかった。
あれはたしか六月。梅雨が始まりじめじめとした日が続きながらも、ようやく中学生活にも慣れてきた日のことだった。
それまであまり話したことがなく、汐月くんは言葉数が多いほうでもなかったから、あまり無駄話をしたくないタイプなのかもしれない、と距離感を窺っていた。けれど、このことをきっかけに私から積極的に話しかけてみるようになったのだ。
汐月くんはたしかに無口でどちらかといえば表情が乏しいタイプではあったけれど、少ない言葉の中に優しさがにじむ人だった。勝手に貼っていたレッテルを剥がして接していくうちにだんだん親しくなって、汐月くんが引っ越すまではよくいろんな話をした。
そんなことがあったからか、汐月くんの褒め言葉は疑いようがなく、まっすぐに本音として胸に届いた。受け止めた心が温かくなっていく。
エレベーターがエントランスのある一階に到着すると、汐月くんはまた先に私を下ろしてくれた。
明星出版のビルを出ると、既に薄暗くなった空と街に迎えられる。十月の十九時はもうすっかり夜だ。
もう少し話したい。今の汐月くんの話が聞きたいな。
このまま別れるのは後ろ髪を引かれるどころじゃない気がして、気づけば「あのっ……!」と声を張り上げていた。
一歩先にいた汐月くんが、ジャケットを羽織りながら驚いたように振り返る。車のヘッドライトが目元のホクロを照らした。
「今って、もう帰り?」
「うん?」
「もしこの後予定とかなかったらなんだけど……」
特に表情を変えない汐月くんに向かって、すうっと息を吸う。
「よ、よかったら一緒にご飯行かない……!?」
思ったよりも前のめりで声を発した私に、汐月くんが目を瞬かせた。