選べなかった恋の続きを、君と紡いで
正直、進捗はよくない。普段よりも筆の進みが遅い。とはいえ余裕を持ってスケジュールを汲んでいるから間に合わないわけではない。
でも……執筆がまったく進まない。
――『内容で行き詰まっているなら、いつでも相談してくださいね!』
その言葉に『大丈夫』と返信しかけて、莉乃とお母さんの言葉を思い出した。大丈夫……なんだろうか、本当に。吐き出していいのかな。そもそも、私はどうして大丈夫と言っていたのだろう。
莉乃とご飯を食べていた時に一度中断されていた思考が再び舞い戻る。
莉乃やお母さんには無意識に心配をかけたくないと思っていた。そして本当に自分でも大丈夫、どうにかできると思っていた。
大椛さんは仕事相手なのに、どうして?
――「七瀬さん、大椛さんのこと信頼してるんだな」
テーブルに置いていたあざらしのマスコットが視界に映った瞬間、以前、汐月くんから言われた言葉がよぎった。
デビュー作以降売れることができず、SNSでも一発屋だと揶揄されていた私。行き詰まっていた時期から寄り添い、一緒に歩こうとしてくれた大椛さんは心強い担当編集さんだ。
だからこそ、今度の長編も成功させたい。
「……そうだ。大椛さんに諦められたくなかったんだ」
なかなか売れない自分と伴走してくれようとしている大椛さんの期待を裏切りたくなかった。
大椛さんにがっかりされたくないという思いが先行して、『大丈夫』かと聞かれても『はい』と頷くことしかできず、いつしかうまく相談できなくなっていた。
求められているものを作れているのか。本当に大丈夫なのか。自分の作ったものに、自分の選択に自信が持てなかったから。
「にゃあ~」
再び軽快にテーブルに飛び乗って来たルルが、ごろりとキーボードの上に転がった。
「あ、ダメだよ。ルル」
「にゃっ」
「ああっ!」
ルルの前足がエンターキーを押して、メールが勝手に送信されてしまった。
『大椛さま。お世話になっております』という定型文の挨拶の後、『実は』まで入力された後に、ルルが入力した『hjjjjklhggggggggg』という謎の文字がそのまま送られている。
「まずいまずい……!」
慌てて説明しようとメールを打っていると、スマートフォンが音を立てる。大椛さんからの電話だった。
「もしもし……!」
『あ、先生。明けましておめでとうございます』
通話口越しに大椛さんの明るい声が響く。
「明けましておめでとうございます。すみません、猫がメール送っちゃって」
「ああ、猫ちゃん! かわいい~」
相変わらずテーブルに座ったままのルルが、尻尾をぶんぶんと振った。
「『実は』で止まってたからちょっと気になって。やっぱり何か行き詰まってます?」
大丈夫、と言いかけた唇が止まる。
大椛さんはいいものを一緒に作ろうとして声をかけてくれている。電話までしてくれている。それなのに私はまだ臆病になって『大丈夫』と言うつもりなのだろうか。
期待を裏切りたくないのも、怖いのも、がっかりされたくないのも、全部結局自分自身を守るためなのに。
ぐっと噛んでいた唇を緩める。
視界の隅にまたアザラシのマスコットが入った。
大丈夫――汐月くんがそう言ってくれているような気がした。
風邪を引いた日、心細かったのに後悔していた私に寄り添ってくれたこと。いろんな景色や考え方を示してくれたこと。さりげなく、でもしっかりと、一緒に歩いてくれる汐月くんの存在にここまで救われてきた。
……私に必要だったのは、踏み出す勇気だったのかもしれない。