甘い痛みは秘密の夜に〜マスクを外した天才パティシエは、独占欲の塊でした〜
 その空気に先に耐えられなくなったのは秋葉の方だった。秋葉は諦めたように短く息を吐き出すと奥へと下がってしまい、雛子はひとり店内に残された。震えるように息を吐きだし固まった体の強張りを解くものの、雛子の胸はずっと縛られたように苦しいままだ。

 店長さん、そう呼べていた日はもう戻ってこない。それを痛感している雛子は泣きそうな気持ちになる。どうして聞いてしまったのだろうと、後悔で自分を責めていた。でも、黙っていられなかった。それは――知りたいという邪な気持ちがあったから。
 
 素顔も知らない人だったのに、知ってしまった。ケーキだけではない、惹かれるもの。それに名前をつけるならもう恋なのだろう。
 相手を知りたいと思うのは……好きなのだ。

 カチャッと、食器と金属音が触れる音にハッとした。秋葉がショーケースからオムレットをひとつ取りだして、カウンターの上に乗せる。その音に顔を上げた雛子は驚いた。秋葉がマスクを外して、素顔を晒していたからだ。その顔はやはり、はじめましての顔ではなかった。雛子が一方的に知り得た秋葉弓弦が目の前にいる。

「食べてくれたら嬉しい」

 差し出されるお皿に戸惑うが、身体は意志を無視するように前へ一歩を踏み出した。狭い店内、数歩でその距離は縮まって、雛子の視界に埋まるのは真っ白な生クリームが溢れるように挟まれたオムレットだ。

「美味しそう……でも」

 戸惑う雛子にアンティークの銀のフォークが差し出される。
 
「食べるところ、見たいなって思ってて」

 ――え?
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