身代わり結婚のはずが、冷徹眼鏡公爵様に溺愛される〜元新婦に身体を押し売りされて、幽霊として憑かれているのですが!?〜

11 蜂蜜はたっぷりでいいですか?(2)

 執務室から顔を出したセドリックさんに手招きされ、私はガラガラとキッチンワゴンを押しながら部屋に入った。

 アルフレッド様は私の姿を捉えると、あからさまに顔を歪め大きく溜息をついた。

「はぁ、今度は何だ。君の気まぐれに付き合っている暇は……っ!?」

 アルフレッド様が弾かれたように顔を上げ、その開かれたアイスブルーの瞳と視線がかち合う。

「……この香りは……っ」
 アルフレッド様は私の持ってきたキッチンワゴンに視線を移す。

「もしよろしければお茶でもと、お持ちしました。……い、いかがでしょうか?」
 私は恐る恐る尋ねる。

「…………そうだな、いただこう」

「え!? 本当ですか? ありがとうございます!」
 嬉しくて思わずお礼を言うと、彼は冷めた視線をこちらに向けながら、眼鏡を上げた。

「なぜ、君が喜ぶんだ」
「あ、そうですね、すみませんっ」
 私は緩んだ自分の頰を両手で押さえる。

「……いや、謝ることはないが……」
 アルフレッド様は何かブツブツと呟きながら、口元を隠した。
「……?」

「それでは、旦那様、奥様こちらへ」
 お茶のセッティングをしていたセドリックさんに呼ばれ、私たちはソファへ向かう。

 アルフレッド様が腰を下ろすと、私は彼の向かいに座る。セドリックさんは私に目配せをして、執務室を後にした。

 ティーポットからお茶をカップに注ぎ入れると、スッとした清涼な香りが漂う。

「……やはりミントの香りか……」
 アルフレッド様は目を細め、私が注いでいる湯気の立つカップを見つめている。

「はい。さっき散歩していましたら、裏庭で見つけまして。とても香りが良かったので、思わず採ってきてしまいました」
「……裏庭……か」

 アルフレッド様は一瞬眉間に皺を寄せて視線を横に逸らすと、ぼそりと低い声で呟く。
 もしかして、裏庭から採ってきたのはまずかったのかと不安になる。

「すみません。勝手に採ってきてはいけなかったでしょうか……?」
「あ、いや、……別に構わない」

「そうですか、なら良かったです。……ところでアルフレッド様、蜂蜜は何杯入れますか?」

 私は小瓶に入った蜂蜜をスプーンで掬い上げると、黄金の液体が細い線を作り流れ落ちていく。
 アルフレッド様は実は甘党なのだと、事前にセドリックさんから聞いていた。

「あ……、いや……」
 アルフレッド様はなぜか慌てたように、眼鏡のブリッジを指で押し上げた。

「蜂蜜はたっぷりでいいですか?」

 とりあえずスプーンに二杯掬ってカップに入れ、ゆっくりとかき混ぜる。

「はい、どうぞ」
 私がカップを差し出すと、アルフレッド様はカップを見つめたまま固まっていた。

(どうしたんだろう? ……もしかして、毒でも入ってると思われたのでは!?)

「あ、毒見はしてあります。セドリックさんにも許可をいただきましたし、私も、あまりのおいしさに三杯飲みました!」
「……いや、そうではない……」

 アルフレッド様はカップを持ち上げると、そっと口をつけた。
 僅かに彼の表情が緩んだように見えて、胸を撫で下ろす。

(良かった……。喜んでくれたみたい……)

 アルフレッド様は、お母様の淹れてくれた蜂蜜たっぷりのミントティーが好きだったのだと、セドリックさんから教えてもらった。お母様が亡くなってからは、飲むこともなくなったのだという。

「……あ、あの、先程は本当に、申し訳ございませんでした……」

 私は深々と頭を下げた。しばらく頭を下げていると、小さく息を吐く声が聞こえ、カチャとカップを置く音がした。

「……もう、いい。頭を上げてくれ」
 頭を上げて、真っ直ぐにアルフレッド様を見るが、視線は合わなかった。

(まだ、怒っているのかもしれない……) 

「もう……、あのような事はしませんので」
「……あぁ」

「……食べられないツラさはよく知っていたはずなのに、浅はかでした……、ごめんなさい……」

「……ん? 何のことだ?」

 私の呟きにアルフレッド様が探るような視線を向けた。
 私は今、菫ではない。ベアトリスなのだから、この言葉は不自然だと、慌てて手を振って誤魔化す。

「な、何でもありません、おほほっ。あ、おかわりはいかがですか?」
 アルフレッド様のカップを見ると、すでに空になっていた。

「あぁ、そうだな。……頼む」
「はい!」
 私は再びカップにミントティーを注ぎ入れる。

 ミントの香りに包まれた執務室は、どことなく空気が解けていくような気がした――。
 

  
 翌朝のダイニングルームで、私はその瞬間を目撃した。

(あ、アルフレッド様が、スープを半分まで召し上がったわっ!)
 いつもはスープですら、一口しか口にしないのに、今日はスプーンが動いていた。

 私がじっと観察していたのに気付いたのか、アルフレッド様とバッチリと目が合ってしまった。彼の瞳がスッと細められる。

「……何だ?」
「あ、いえ……、今日の朝食もおいしいです!」

 私が笑顔で返すと、アルフレッド様は呆気に取られた顔をした後、眼鏡を押し上げた。そして、視線を逸らされる。
「……そ、そうか」

 アルフレッド様は、今日は少し食欲が出てきたのだろうか。無理は禁物だけど、少しずつでも食べられたならいい傾向だ。

 なんとなく自分のことのように嬉しく思いつつ、キッシュを口に運んでいるとアルフレッド様から声を掛けられた。

「あー、その、……ベアトリス」

(ベアトリス……)

 私はテーブルの隣で、浮かびながらこちらを見ているベアちゃんに視線を送る。

「ベアトリスっ」

 アルフレッド様が再び、名前を呼んだ。
 ベアちゃんはその美しい顔を徐々に歪め、そして吹き出した。

『――ぶっ』
「えっ?」

『あははっ、スミレ。何、“ベアちゃん呼んでるよ〜?”みたいな顔でこちらを見てますのよ! 今ベアトリスはあなたでしょう?』

 ベアちゃんに指摘され、ハッと我に返る。そうだ、私は今は“ベアトリス”だった。普段、奥様と呼ばれていてすっかり忘れていた。

 私が慌ててアルフレッド様の顔を見ると、彼は眉をひそめている。

「す、すみません! な、何でしょうか?」

「……あぁ、その、昨日は……」

「昨日……?」
 アルフレッド様は視線を逸らすと、再び眼鏡を押し上げる。

「……ミントティーなら、また飲んでもいい」
「え?」

「……きっ、今日はこれから王宮に向かう」
 そう言うと足早にダイニングルームを出ていった。

(今のって、ミントティーのこと気に入ってくれたってことかな……?)

『ふふっ、不器用な男ね』
 
 私はアルフレッド様が出ていった扉を、しばらく眺めていた。
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