身代わり結婚のはずが、冷徹眼鏡公爵様に溺愛される〜元新婦に身体を押し売りされて、幽霊として憑かれているのですが!?〜

12 蜂蜜とミントの香り(アルフレッドside)

「奥様は図書室に向かわれたようでございます」

 そう言うと、セドリックは湯気の立つカップをいつものようにデスクに置く。

 俺は目を通していた嘆願書から顔を上げると、眼鏡を直す。

「……そうか」
 セドリックには妻ベアトリスの動向について、報告をするように申し付けていた。

 ベアトリスが屋敷内を見て回りたいと、セドリックに言いに来たと聞いた。たしかに彼女には自由に過ごしていいとは言ったが、屋敷内を見て回ってどうするのかと不審に思った。
 何か企んでいるのではと、セドリックや他の使用人たちには監視させている。

「……引き続き監視を続けろ」
「はい、かしこまりました」
 セドリックは一礼すると、執務室を出ていった。

「ふぅ」
 小さく息を漏らす。みぞおち辺りに、キリキリとしたような痛みが走る。

 父の死により急遽継ぐことになった爵位。激務や、重圧で俺の身体は悲鳴を上げていた。しかし、立ち止まるわけにはいかない。偉大な父の足元にも及ばないのだから。

 俺は眼鏡を取ると、静かに目を閉じる。

 ――昨夜の彼女の言葉が頭に響いた。

『私に指一本触れることは許しません。私はあなたのことなど、一生愛することはありませんわ!』

 結婚式が終わり、寝室で新婦ベアトリスが放った言葉だ。

 青紫の瞳でこちらを睨み、バルコニーの方へ走っていく。とっさに細い手首を掴むが、彼女は俺の手を振り払い飛び降りた。
 気付くと、拒まれた俺の手は震えていた。

(俺はいったい……、何を間違えたんだ……)

 四年前、婚約者に決まった当初から、彼女は俺に対し嫌悪感を露わにしていた。それでも俺は彼女を婚約者として誠実に扱ってきた。

 夜会でのエスコートも、誕生日の贈り物も、最低限のことはしてきたつもりだ。しかし、彼女から歩み寄ることはなかった。

 もしかしたら、彼女には他に恋い慕う男がいるのかもしれない。

 我が公爵家に嫁ぐ限り、跡継ぎは必要だ。その責務さえ果たしてくれるのならば、あとは干渉はしない。自由にしてくれていいと、伝えたつもりだったのだが……。

 しばらくは彼女を刺激しないように、俺は近づかない方が賢明だろう。

 俺は眼鏡を掛け直し、デスクの上のカップを取る。息を止め、温くなった薬湯を一気に口に流し込んだ。

「……く……っ」
(……ま、ずい……っ)

 毎日服用しているが、未だ慣れない独特の臭いと味に耐えられず、外の空気を吸おうと窓辺に向かう。
 窓に手をかけた時、庭園にいる赤髪の人物が目に飛び込んできた。

(……ん? ベアトリスか? ……何をしているんだ?)

 彼女は庭園の真ん中で両手を広げ、突っ立っていた。かと思うと一人で楽しげに笑い、バイオレットの前に座り込む。ドレスの裾が地面に付いているのにも気にする様子はなかった。

 そんなベアトリスから目が離せず、暫く観察していると、彼女がこちらを見上げた。俺は思わずカーテンの裏に身を隠す。

(……俺はいったい、何をやってるんだ……)
 眼鏡を指で押し上げると、一息吐いてからデスクに戻った。



 自由にしていいとは言ったが、俺まで巻き込まれるとは思わなかった。
 俺が視界に映るのすら嫌がっていた彼女が、ローストビーフのサンドイッチを持ち、執務室を訪れるとは。

(新手の嫌がらせか……っ)
 込み上げる吐き気を抑え、「余計なことはするな」と釘を刺した。

 その時に見せた彼女の泣きそうな顔が、脳裏から離れない。

(……なぜだ。なぜ、あのような顔を……?)
 一人になった執務室で、俺は悶々として頭を掻きむしった。

 
「旦那様、失礼いたします」
 それから程なくして、セドリックが執務室を訪れた。

「先程は勝手な真似をしてしまい、申し訳ございませんでした」
 セドリックは深々と頭を下げる。

 彼は父と年も近く、俺が物心つく前からこの屋敷に勤めている。謹厳実直で信頼できる人物だ。
 そんな彼が俺の命令以外で動くとは、いささか驚いた。

「いや、もういい。ただ、おまえが勝手な真似をするとはな」
「はい。……勝手ついでに、もう一つだけ、よろしいでしょうか?」

「……何?」
 セドリックの言葉に耳を疑う。

 彼が扉を開けると、ガラガラとワゴンを押してベアトリスが入ってきた。
(またか……)

「はぁ、今度は何だ。君の気まぐれに付き合っている暇は……っ!?」

 スッとした懐かしい香りが鼻を掠める。
 この香りを俺は、ずっと忘れていた。

「……この香りは……っ」

 亡き母が淹れてくれた蜂蜜の入ったミントティー。裏庭に咲くリンデンの花の甘い香り。笑顔の母、穏やかな表情の父。
 母が働き過ぎる父の身を案じ、裏庭でハーブを育て、自らハーブティーを淹れていた。父も母に押し切られ、渋々休憩をする。そんな日常――。

 頭の片隅に追いやられていた記憶が、一瞬で蘇ってくる。
 
「蜂蜜はたっぷりでいいですか?」
 そう言って差し出されたカップを前に、俺の思考が停止する。震えそうなる手をぐっと堪えた。

「あ、毒見はしてあります。セドリックさんにも許可をいただきましたし、私も、あまりのおいしさに三杯飲みました!」
(……三杯……)

「……いや、そうではない……」

 彼女の慌てている姿に、不思議と心が緩んでいく。
 カップに口を付けると、懐かしい香りと味が俺の全身を巡った。

(……うまいな……)

 チラリと彼女の様子を窺うと、嬉しそうな表情でこちらを見つめていたので、とっさに視線を外した。

(……こんな表情もするんだな……)

 もう少し見つめていたいような、気恥ずかしいような、そんな初めての感情を誤魔化すように、俺はミントティーを飲み干した。
 
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