身代わり結婚のはずが、冷徹眼鏡公爵様に溺愛される〜元新婦に身体を押し売りされて、幽霊として憑かれているのですが!?〜
22 初めて知った感情(アルフレッドside)
「こちらが昨夜の報告書です」
ルドルフ殿下の執務室で、俺は正面のデスクの殿下に書類を手渡す。
ブラン伯爵家の夜会の翌日。早朝から王宮に召集された。俺は昨夜のブラン伯爵令嬢への一件について、情報集めに奔走していた。
ルドルフ殿下は書類を受け取ると、苛立ちを滲ませた険しい表情で目を通す。
「なるほどな……。グランジュ公爵は白か。じゃあ、やはりカタリナ嬢が単独で、マリアンヌに非礼な振る舞いをしていたのか……」
殿下は机に肘をつき、鋭く目を細めて口元を手で覆う。
「そのようです」
「一緒にいた令嬢達は、バーグ伯爵令嬢と、ロス子爵令嬢。どちらもカタリナ嬢の腰巾着の令嬢か……。……一応、父上に報告しておこう。アル、頼んだぞ」
「承知いたしました」
俺は一礼し、自分のデスクに戻る。
ペンを走らせながら、俺は昨夜のことを思い出していた。
殿下を含めた主要な貴族達との会談中、会場の警備をしている近衛兵から、“グランジュ公爵令嬢が、ブラン伯爵令嬢を裏庭に連れ出した”と報告を受けた。
殿下は前々から、婚約者が何者かから嫌がらせを受けていたのは承知していた。しかし、彼女本人から語られることはなかったのだという。
それでブラン伯爵令嬢に影で護衛を付けつつ、犯人の炙り出しを図っていたのだが。
その現場に、ベアトリスがいる――というではないか。
それを聞いた俺は居ても立っても居られず、すぐに部屋を飛び出し裏庭へ急いだ。
静かな回廊に、俺の激しい足音が響き渡る。
(どうしてだ……っ。あれほど、会場から出るなと念を押したはずだというのにっ)
決して、グランジュ公爵令嬢に悟られてはならない。
――ベアトリスが偽物だ、ということを。
ずっと違和感が拭えなかった。
彼女、――ベアトリスは、変わったのか。それとも、バルコニーから飛び降りた時の後遺症なのか。
今までの彼女とは、明らかに違う。……違いすぎる。
食べ物一つで瞳を輝かせ、マナーもおぼつかない。
楽しそうに庭園を歩き回る姿や、なぜかぼんやりと空中を見つめて、ぶつぶつと呟く姿。
俺を真っ直ぐに見つめる瞳に、俺に向ける優しい笑顔も。
四年間も婚約者だったが、そんな姿は一度たりとも見たことはなかったのに。
別人なのだと確信したのは、ダンスを踊った時だ。
ぎこちないステップを懸命に踏み、俺の腕の中で彼女は無邪気に笑った。
『ダンスって、こんなにも楽しいんですね!』
(……そうだな。俺も初めて知ったよ)
この楽しさも、湧き上がる愛しさも、手放したくないと思う執着も。
(俺にも、こんな感情があったとはな……)
裏庭に到着すると、女性の金切り声が聞こえてくる。
声のした方に目を向けると、ベアトリスとグランジュ公爵令嬢が対峙していた。
彼女は気丈に振る舞ってはいるが、明らかに分が悪い。
グランジュ公爵令嬢の挑発に乗る気は毛頭なかったが、俺は考えるより先に彼女達の前に飛び出してしまったんだ。
あれ以上静観すれば、ベアトリスが別人だということが、露見してしまっただろう。
しかし、あんなに怒鳴ることはなかった。
今朝も顔を合わせないまま王宮に来てしまい、謝るタイミングを完全に逃してしまった。
「――おい、アル!」
「――!?」
俺は慌てて、取り繕うように眼鏡を押し上げた。
「何か御用でしょうか? 殿下」
「……お前、先程から手が止まっていたぞ。何か懸念があるのか?」
殿下はこちらを探るような視線を向ける。
「……いえ、問題ありません」
「あー、なるほどな。夫人のことか! お前達、婚約中はあんなに不仲だったのに、結婚した途端に仲睦まじいとは驚いたぞ! それに最近のお前は、顔色もいい。何があったんだ?」
殿下は面白がるように目を細める。
「……っ、別段何もございませんので。――私は、報告書を届けに行ってまいります」
俺は素早く書類を掴むと、椅子から立ち上がる。
「おい、アル! ちょっと、待て――っ」
殿下の制止を振り切るように、執務室を後にした。
「ふぅ、殿下にも困ったもんだな……」
(これから、しょっちゅう冷やかされるんだろうな……)
廊下を歩きながら、溜息をつく。
ダンスの姿を見られていたのは、不覚だった。
あの時は目の前の彼女に気を取られ、周囲に気を配る余裕がなかったのは事実だ。
(彼女があまりにも可愛すぎ……いや、気を付けないといけないな……っ)
俺は雑念を振り払うように首を振る。
俺とベアトリスの婚姻は、王命により決定したことだ。何があっても覆すことはできない。
ベアトリスは俺との結婚を嫌がり、結婚式の晩、バルコニーから飛び降りた。
俺はその時にベアトリスと、替え玉である彼女が入れ替わったのではないかと考えている。
(本物のベアトリスは、侯爵領にでも匿われているか……)
侯爵令嬢のベアトリスが、単独で逃亡したり、自身にそっくりの替え玉を探すことは不可能だろう。だとしたら、マルソー侯爵が絡んでいるのは間違いない。
そんなことがもし王家に露見したならば、王家を欺瞞したとして処罰は免れないというのに。
なにより一番の犠牲者は、替え玉である彼女だ。公爵夫人を騙ったとして、処刑されるに違いない。
――それだけは阻止しなければ。
俺はもう彼女を手放すことはできない。何があっても守り抜くと、そう固く決意した、……ばかりだった。
だから昨夜は、少々きつく彼女に言いすぎてしまったんだ。
俺が叱ったときの、泣きそうな顔が脳裏から離れない……。
彼女の顔を思い出して、自己嫌悪に陥る。
(……彼女が大切なのに、どうして俺は、いつも上手く言えないんだ……っ)
唇を噛み締め、眼鏡を押し上げた時、廊下で話す文官達の会話が耳に入る。
「妻の機嫌を直すには、レ・リクールの菓子が一番だよ。特にあそこのパート・ド・フリュイだと一発で直るぞ」
「本当か? じゃあ、買っていくかな」
(……レ・リクール……? たしか、王宮の近くにある菓子店だったな……。…………菓子か……)
俺は懐中時計を取り出す。
(……閉店までには、なんとか間に合うか……?)
俺は報告書を届けに、足早に陛下の執務室へ向かった。
ルドルフ殿下の執務室で、俺は正面のデスクの殿下に書類を手渡す。
ブラン伯爵家の夜会の翌日。早朝から王宮に召集された。俺は昨夜のブラン伯爵令嬢への一件について、情報集めに奔走していた。
ルドルフ殿下は書類を受け取ると、苛立ちを滲ませた険しい表情で目を通す。
「なるほどな……。グランジュ公爵は白か。じゃあ、やはりカタリナ嬢が単独で、マリアンヌに非礼な振る舞いをしていたのか……」
殿下は机に肘をつき、鋭く目を細めて口元を手で覆う。
「そのようです」
「一緒にいた令嬢達は、バーグ伯爵令嬢と、ロス子爵令嬢。どちらもカタリナ嬢の腰巾着の令嬢か……。……一応、父上に報告しておこう。アル、頼んだぞ」
「承知いたしました」
俺は一礼し、自分のデスクに戻る。
ペンを走らせながら、俺は昨夜のことを思い出していた。
殿下を含めた主要な貴族達との会談中、会場の警備をしている近衛兵から、“グランジュ公爵令嬢が、ブラン伯爵令嬢を裏庭に連れ出した”と報告を受けた。
殿下は前々から、婚約者が何者かから嫌がらせを受けていたのは承知していた。しかし、彼女本人から語られることはなかったのだという。
それでブラン伯爵令嬢に影で護衛を付けつつ、犯人の炙り出しを図っていたのだが。
その現場に、ベアトリスがいる――というではないか。
それを聞いた俺は居ても立っても居られず、すぐに部屋を飛び出し裏庭へ急いだ。
静かな回廊に、俺の激しい足音が響き渡る。
(どうしてだ……っ。あれほど、会場から出るなと念を押したはずだというのにっ)
決して、グランジュ公爵令嬢に悟られてはならない。
――ベアトリスが偽物だ、ということを。
ずっと違和感が拭えなかった。
彼女、――ベアトリスは、変わったのか。それとも、バルコニーから飛び降りた時の後遺症なのか。
今までの彼女とは、明らかに違う。……違いすぎる。
食べ物一つで瞳を輝かせ、マナーもおぼつかない。
楽しそうに庭園を歩き回る姿や、なぜかぼんやりと空中を見つめて、ぶつぶつと呟く姿。
俺を真っ直ぐに見つめる瞳に、俺に向ける優しい笑顔も。
四年間も婚約者だったが、そんな姿は一度たりとも見たことはなかったのに。
別人なのだと確信したのは、ダンスを踊った時だ。
ぎこちないステップを懸命に踏み、俺の腕の中で彼女は無邪気に笑った。
『ダンスって、こんなにも楽しいんですね!』
(……そうだな。俺も初めて知ったよ)
この楽しさも、湧き上がる愛しさも、手放したくないと思う執着も。
(俺にも、こんな感情があったとはな……)
裏庭に到着すると、女性の金切り声が聞こえてくる。
声のした方に目を向けると、ベアトリスとグランジュ公爵令嬢が対峙していた。
彼女は気丈に振る舞ってはいるが、明らかに分が悪い。
グランジュ公爵令嬢の挑発に乗る気は毛頭なかったが、俺は考えるより先に彼女達の前に飛び出してしまったんだ。
あれ以上静観すれば、ベアトリスが別人だということが、露見してしまっただろう。
しかし、あんなに怒鳴ることはなかった。
今朝も顔を合わせないまま王宮に来てしまい、謝るタイミングを完全に逃してしまった。
「――おい、アル!」
「――!?」
俺は慌てて、取り繕うように眼鏡を押し上げた。
「何か御用でしょうか? 殿下」
「……お前、先程から手が止まっていたぞ。何か懸念があるのか?」
殿下はこちらを探るような視線を向ける。
「……いえ、問題ありません」
「あー、なるほどな。夫人のことか! お前達、婚約中はあんなに不仲だったのに、結婚した途端に仲睦まじいとは驚いたぞ! それに最近のお前は、顔色もいい。何があったんだ?」
殿下は面白がるように目を細める。
「……っ、別段何もございませんので。――私は、報告書を届けに行ってまいります」
俺は素早く書類を掴むと、椅子から立ち上がる。
「おい、アル! ちょっと、待て――っ」
殿下の制止を振り切るように、執務室を後にした。
「ふぅ、殿下にも困ったもんだな……」
(これから、しょっちゅう冷やかされるんだろうな……)
廊下を歩きながら、溜息をつく。
ダンスの姿を見られていたのは、不覚だった。
あの時は目の前の彼女に気を取られ、周囲に気を配る余裕がなかったのは事実だ。
(彼女があまりにも可愛すぎ……いや、気を付けないといけないな……っ)
俺は雑念を振り払うように首を振る。
俺とベアトリスの婚姻は、王命により決定したことだ。何があっても覆すことはできない。
ベアトリスは俺との結婚を嫌がり、結婚式の晩、バルコニーから飛び降りた。
俺はその時にベアトリスと、替え玉である彼女が入れ替わったのではないかと考えている。
(本物のベアトリスは、侯爵領にでも匿われているか……)
侯爵令嬢のベアトリスが、単独で逃亡したり、自身にそっくりの替え玉を探すことは不可能だろう。だとしたら、マルソー侯爵が絡んでいるのは間違いない。
そんなことがもし王家に露見したならば、王家を欺瞞したとして処罰は免れないというのに。
なにより一番の犠牲者は、替え玉である彼女だ。公爵夫人を騙ったとして、処刑されるに違いない。
――それだけは阻止しなければ。
俺はもう彼女を手放すことはできない。何があっても守り抜くと、そう固く決意した、……ばかりだった。
だから昨夜は、少々きつく彼女に言いすぎてしまったんだ。
俺が叱ったときの、泣きそうな顔が脳裏から離れない……。
彼女の顔を思い出して、自己嫌悪に陥る。
(……彼女が大切なのに、どうして俺は、いつも上手く言えないんだ……っ)
唇を噛み締め、眼鏡を押し上げた時、廊下で話す文官達の会話が耳に入る。
「妻の機嫌を直すには、レ・リクールの菓子が一番だよ。特にあそこのパート・ド・フリュイだと一発で直るぞ」
「本当か? じゃあ、買っていくかな」
(……レ・リクール……? たしか、王宮の近くにある菓子店だったな……。…………菓子か……)
俺は懐中時計を取り出す。
(……閉店までには、なんとか間に合うか……?)
俺は報告書を届けに、足早に陛下の執務室へ向かった。