夜風にさらわれたお姫様

月夜の噂


夜坂街の空気が変わり始めていた。


昼間はいつも通り人が歩き、店が開き、笑い声が響く。

けれど夜になると違う。

裏路地を走るバイク。
低く響くエンジン音。
黒服の男たち。

そして最近、特に増えている言葉があった。


――“月夜の牙戦”


「……物騒すぎる」

榴愛はテレビニュースを見ながら呟いた。


『最近、夜坂街では若者同士のトラブルが――』

もちろんニュースは本当のことを言わない。

裏社会の抗争なんて、表の人間には隠される。

でも榴愛はもう知ってしまった。

この街には、本当に“裏の世界”があることを。


「難しい顔」

低い声。

振り返ると煌夜が立っていた。

「煌夜」

「考え事か?」

煌夜は榴愛の隣へ座る。

自然に距離が近い。

最近少し慣れてきたけれど、それでも心臓には悪い。

「……月夜の牙戦って何なんなの」

榴愛が聞くと、煌夜の目が少し細くなる。

「組織同士の大規模抗争」

「……」

「昔からある」

空気が重くなった。

榴愛はぎゅっと服を握る。

「危ないよね」

「まぁな」

「煌夜も戦うの?」

煌夜は少し黙った。

その沈黙だけで答えが分かる。

榴愛の胸が苦しくなる。


すると。

ぽん。

煌夜が榴愛の頭へ手を置いた。

「そんな顔すんな」

「でも……」

「死なねぇよ」

簡単に言う。

でも、そんな保証はどこにもない。

榴愛は思わず煌夜の服を掴んだ。

「無茶しないでね……」

煌夜は少し驚いた顔をした。

「……榴愛」

「約束してね」

「……」

「ちゃんと帰ってくるって」


数秒後。

煌夜は小さく笑った。

「分かった」

そう言って榴愛の額へ軽くキスを落とす。

「っ!?」

「約束」

「こ、ここ広間!!」

「だから?」

「だからじゃない!!」


周囲から口笛が飛ぶ。

「煌夜さん甘〜」

「姫ちゃん真っ赤」

「青春だなぁ」

「うるせぇ」

煌夜はどこ吹く風だった。

榴愛だけが羞恥で死にそう。


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