True Love─最初の恋、最後の愛─
8.涙のわけ
「先輩、そのクマ、どうしたんですか?」
会社に着くなり、隣の席のタマちゃんが驚いた。
「え? あ……あはは、寝不足」
昨夜、眠りに着いたのは午前三時で、起きたのは五時。
身体のリズムがそうなっていて、目覚ましが鳴る前に気がついた。
隣では良祐がまだ寝息を立てていたから、起こさないようにそっとベッドから出た。簡単に身形を整えてからキッチンに立ち、朝ごはんの準備を始めた。
「ごめんな幹奈、おまえだって眠いのに」
「ううん。気にしないで。それに──なんか嬉しいの」
二時間しか寝ていないから本当は立ってるのも辛いけど、それ以上に、良祐のために何かできることがなんだか嬉しかった。
それに、いつになるかは分からないけれど、良祐とは一緒に暮らすことになる。
今から準備を始めたって、イメージしたって、何も早くない。
目のクマを隠そうとメイクを重ねてみたけれど、綺麗には隠れてくれなくて。
何があったか聞かれるのも嫌だから、あまり正面を向かずに自分の席まで来た。
「タマちゃんこそ、昨日は大丈夫だった?」
「あっ! すみません。ご迷惑おかけしました……」
タマちゃんはまだ実家暮らしで、タクシーに乗る前に家に電話をかけておいた。母親らしき人が出てきて、何回もお礼を言われた。
「あれからすぐに寝ました。ぐっすり寝たから、今日はスッキリです。……あれ、先輩もすぐに帰ったんですよね……?」
「うん。……帰ったんだけどね」
部屋の前で待ってる人がいました、そして長い夜が始まりました、なんて──ここでは言えない。
「テレビ見てたんですか? パソコンしてたとか?」
「ううん。どっちも違うよ」
何があったんだろう、と考えるタマちゃんを置いて、私は卓上カレンダーを見た。
年内の仕事は、明日で終わりだ。
昼休み、いつものようにタマちゃんと社員食堂に行くと、また良祐と彼の部長が楽しそうに話していた。
会話の内容は聞こえないけれど、私の名前は出て来ないはずだ。
「先輩、私、考えてたんですけど」
「うん?」
「昨日──あの後、彼氏さんと会ってたんですか?」
タマちゃんにそう聞かれたのと同時に、テーブルの横に人影が現れた。
そんな気がして見上げれば、やはりそれは良祐だった。良祐はしばらくタマちゃんを見ていたけれど、何も言わずに私に向き直った。
「おい、椎平、ちょっと良いか?」
「……やだ。今はタマちゃんと話してんの」
本当は、良いに決まってる。
でも、周りのみんなが見てるから、正直には言えない。
「わ、私は良いです、先輩、課長と……」
「優しいなぁ多摩は。そんなんだからモテるんだろうな。それに比べておまえは……」
その年齢で独身なのは会社でおまえだけだぞ、と言われるに決まってる。
実際、声には出さなかったけど、今までだったら絶対、言われてる。
「そんな話をしに来たんですか?」
「……そこまで暇じゃねーよ。良いからちょっと来い」
「ちょっと、やめてっ」
と叫びながら良祐に連れ去られるフリをして、私は慌てて荷物を掴んだ。
「今朝、母親から電話があった。おまえに話があるらしい。電話するから出ろ」
周りの人たちの視線を浴びながら、私と良祐は社員食堂から出た。
「悪いな、無理やり引っ張って」
「ううん。……お母さんから話って、本当?」
「……半分。うちさ、リフォームするらしいんだ。それで──俺が将来、どこで暮らすのか、聞いてきた。俺ずっと、親に嘘ついてて……何年も前から彼女がいるってことになってるんだ。だから、その彼女と、一緒になるならどこで暮らすんだ、って……」
「実家に戻るか、戻らないか?」
「そう。あと、そろそろ紹介しろ、とかさ」
良祐に連れて来られた会議室で、そんな話をした。
窓際でぼそぼそ話してたから、尾行されてたとしても、聞こえないはずだ。
「俺だって、そんなすぐには戻るつもりないけど……おまえと別れるつもりもないし。だから、幹奈に聞こうと思った。いつか──そのときは、実家についてきてくれるか? 嫌なら嫌でいい」
「その、ときって……」
「おい、もう忘れたのか? 昨日も話したのに」
忘れるはずがないし、その先を想像すると嬉しい。
でも、話が早すぎて頭が追いつかない。
混乱している私の前で、良祐は笑った。
「おまえは俺の嫁にしてやる、って。言っただろ」
込み上げる気持ちが溢れそうで、私はまっすぐ良祐を見られなかった。
昨日ははっきり言わなかったけど、良祐は私との結婚を考えてくれていた。
「私、本当に……お嫁さんになれるの?」
「ああ。俺がそうしてやる。それから……ままごとじゃなくて、本当のママとパパになろうな」
良祐の笑顔が眩しくて、涙があふれて止まらなくなった。
「無理は言わないけど、子供は二人欲しい。だから、仲良くしないとな」
「もう、こんなときに、バカ……。でも、嬉しい……ありがとう、良祐!」
良祐が指で涙を拭ってくれて、それから肩を掴まれた。
唇にそっと触れるだけのキスが落ちる。
涙でしょっぱかったけど、忘れられない思い出だ。
「あれ、椎平、どうした……もしかして、早瀬に泣かされたのか?」
廊下で出会った彼の部長が私の涙を見つけた。
涙とキスで化粧が崩れたのと、怪しまれないために私が先に外に出ていた。
部長はかなり心配してたけれど、悲しい涙じゃない。
嬉し涙なんだ。
私は何も答えずにそのまま走り、急いで化粧室へ向かった。
「おい、早瀬! おまえ彼女いるくせに椎平捕まえて何してんだよ?」
部長の声が遠くで響き、良祐の弁解の声も聞こえた。
崩れたメイクを直しながら、ふふ、と笑った。
会社に着くなり、隣の席のタマちゃんが驚いた。
「え? あ……あはは、寝不足」
昨夜、眠りに着いたのは午前三時で、起きたのは五時。
身体のリズムがそうなっていて、目覚ましが鳴る前に気がついた。
隣では良祐がまだ寝息を立てていたから、起こさないようにそっとベッドから出た。簡単に身形を整えてからキッチンに立ち、朝ごはんの準備を始めた。
「ごめんな幹奈、おまえだって眠いのに」
「ううん。気にしないで。それに──なんか嬉しいの」
二時間しか寝ていないから本当は立ってるのも辛いけど、それ以上に、良祐のために何かできることがなんだか嬉しかった。
それに、いつになるかは分からないけれど、良祐とは一緒に暮らすことになる。
今から準備を始めたって、イメージしたって、何も早くない。
目のクマを隠そうとメイクを重ねてみたけれど、綺麗には隠れてくれなくて。
何があったか聞かれるのも嫌だから、あまり正面を向かずに自分の席まで来た。
「タマちゃんこそ、昨日は大丈夫だった?」
「あっ! すみません。ご迷惑おかけしました……」
タマちゃんはまだ実家暮らしで、タクシーに乗る前に家に電話をかけておいた。母親らしき人が出てきて、何回もお礼を言われた。
「あれからすぐに寝ました。ぐっすり寝たから、今日はスッキリです。……あれ、先輩もすぐに帰ったんですよね……?」
「うん。……帰ったんだけどね」
部屋の前で待ってる人がいました、そして長い夜が始まりました、なんて──ここでは言えない。
「テレビ見てたんですか? パソコンしてたとか?」
「ううん。どっちも違うよ」
何があったんだろう、と考えるタマちゃんを置いて、私は卓上カレンダーを見た。
年内の仕事は、明日で終わりだ。
昼休み、いつものようにタマちゃんと社員食堂に行くと、また良祐と彼の部長が楽しそうに話していた。
会話の内容は聞こえないけれど、私の名前は出て来ないはずだ。
「先輩、私、考えてたんですけど」
「うん?」
「昨日──あの後、彼氏さんと会ってたんですか?」
タマちゃんにそう聞かれたのと同時に、テーブルの横に人影が現れた。
そんな気がして見上げれば、やはりそれは良祐だった。良祐はしばらくタマちゃんを見ていたけれど、何も言わずに私に向き直った。
「おい、椎平、ちょっと良いか?」
「……やだ。今はタマちゃんと話してんの」
本当は、良いに決まってる。
でも、周りのみんなが見てるから、正直には言えない。
「わ、私は良いです、先輩、課長と……」
「優しいなぁ多摩は。そんなんだからモテるんだろうな。それに比べておまえは……」
その年齢で独身なのは会社でおまえだけだぞ、と言われるに決まってる。
実際、声には出さなかったけど、今までだったら絶対、言われてる。
「そんな話をしに来たんですか?」
「……そこまで暇じゃねーよ。良いからちょっと来い」
「ちょっと、やめてっ」
と叫びながら良祐に連れ去られるフリをして、私は慌てて荷物を掴んだ。
「今朝、母親から電話があった。おまえに話があるらしい。電話するから出ろ」
周りの人たちの視線を浴びながら、私と良祐は社員食堂から出た。
「悪いな、無理やり引っ張って」
「ううん。……お母さんから話って、本当?」
「……半分。うちさ、リフォームするらしいんだ。それで──俺が将来、どこで暮らすのか、聞いてきた。俺ずっと、親に嘘ついてて……何年も前から彼女がいるってことになってるんだ。だから、その彼女と、一緒になるならどこで暮らすんだ、って……」
「実家に戻るか、戻らないか?」
「そう。あと、そろそろ紹介しろ、とかさ」
良祐に連れて来られた会議室で、そんな話をした。
窓際でぼそぼそ話してたから、尾行されてたとしても、聞こえないはずだ。
「俺だって、そんなすぐには戻るつもりないけど……おまえと別れるつもりもないし。だから、幹奈に聞こうと思った。いつか──そのときは、実家についてきてくれるか? 嫌なら嫌でいい」
「その、ときって……」
「おい、もう忘れたのか? 昨日も話したのに」
忘れるはずがないし、その先を想像すると嬉しい。
でも、話が早すぎて頭が追いつかない。
混乱している私の前で、良祐は笑った。
「おまえは俺の嫁にしてやる、って。言っただろ」
込み上げる気持ちが溢れそうで、私はまっすぐ良祐を見られなかった。
昨日ははっきり言わなかったけど、良祐は私との結婚を考えてくれていた。
「私、本当に……お嫁さんになれるの?」
「ああ。俺がそうしてやる。それから……ままごとじゃなくて、本当のママとパパになろうな」
良祐の笑顔が眩しくて、涙があふれて止まらなくなった。
「無理は言わないけど、子供は二人欲しい。だから、仲良くしないとな」
「もう、こんなときに、バカ……。でも、嬉しい……ありがとう、良祐!」
良祐が指で涙を拭ってくれて、それから肩を掴まれた。
唇にそっと触れるだけのキスが落ちる。
涙でしょっぱかったけど、忘れられない思い出だ。
「あれ、椎平、どうした……もしかして、早瀬に泣かされたのか?」
廊下で出会った彼の部長が私の涙を見つけた。
涙とキスで化粧が崩れたのと、怪しまれないために私が先に外に出ていた。
部長はかなり心配してたけれど、悲しい涙じゃない。
嬉し涙なんだ。
私は何も答えずにそのまま走り、急いで化粧室へ向かった。
「おい、早瀬! おまえ彼女いるくせに椎平捕まえて何してんだよ?」
部長の声が遠くで響き、良祐の弁解の声も聞こえた。
崩れたメイクを直しながら、ふふ、と笑った。