彼の手『だけ』を見ていた私は、
 ある日、会議を控える私たちが直前の打ち合わせをしていた時のこと。
 ひと区切りついたタイミングで長谷川さんが小さく息を吐きながら、椅子の背もたれに身体を預けた。

「少し休憩にしようか。10分後に再開で」

 その声と共に、メンバーが各々の動きをした。
 午後の会議は眠くなるため、欠伸をする人やコーヒーを淹れに行く人など様々だ。

 ただ、私は席から立ち上がらなかった。
 この会議で1番楽しみにしていた絶好のチャンスを逃すわけにはいかなかったから。
 
 長谷川さんが迷いのない動きで首元へ手を伸ばす。
 第一ボタンを外し、長い指がネクタイの結び目を器用に緩めた。角ばった手に力が込められると、少しだけ開いた襟元から大人の男の品の良い色気が立ち上る。その一連の動作があまりにも滑らかで、私の視線は完全に釘付けになっていた。

(これよこれ! これを見るために私は会議に出席したと言っても過言ではないのよ!)

 心の中で盛り上がっていると、ふと長谷川さんと目が合った。
 しまった。少し見すぎてしまっていたらしい。

 しかしここは目を逸らさず、愛想笑いで小さく頭を下げておく。あたかも『何もやましいことはありませんよー。偶然目が合っただけですよー』という素振り。人の手を盗み見るようになってから、何かと人目が合うことが増えてしまったが故に身に付けた誤魔化し方。

(さて、見るもの見れたし、私もコーヒーを淹れに、)

「根室さん?」

 席を立ったまさにその時、思いがけず名前を呼ばれた。
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