箱入り娘は無感情ボディーガードに護られたい
 入ってきたのは、これから一年間お世話になる担任教師。四十代半ばほどの、穏やかそうな男性教師が教卓の前に立ち、出席簿をトントンと整える。

「はい、皆自分の席につけー。ホームルーム始めるぞ」

 その声を合図に、教室のそこかしこで起きていたざわめきが、波が引くように少しずつ落ち着いていく。新那も慌てて姿勢を正し、前を向いた。
 いよいよ、本格的なホームルームが始まる。
 新那は背筋を伸ばしたまま、そっと視線だけで教室全体を見渡してみた。
 窓際の席で、まだ緊張が解けずにガチガチになっている男の子。
 前の席の女の子と、すでに楽しそうに連絡先を交換し合っているグループ。
 頬杖をついて、ぼんやりと窓の外の桜を眺めている生徒。
 誰もが、これから三年間という長い時間を、この同じ空間で共に過ごす大切なクラスメイトになる人達だ。
 そう思った瞬間、新那の胸の奥が、トクンと小さく高鳴った。
 つい数時間前までは、街ですれ違っても気にも留めなかったはずの、完全な「他人」だった。それが今日という日を境に、同じ教室で授業を受け、笑ったり、悩んだり、時には喧嘩をしたりするのかもしれない。これこそが、ずっと夢見ていた光景だった。

「今日からお前達の担任兼社会科を担当する、後藤だ。よろしく」

 教卓の前に立つ担任は、黒板に大きく自分の名前を書く簡単な自己紹介を終えると、これからの高校生活におけるルールやスケジュールについて説明を始めた。
 明日の実力テストのこと。
 提出物の期限や、厳しい服装チェックがあるという校則のこと。
 来週から始まる、部活動の見学期間について。
 そして、秋に開催されるという一大行事、文化祭のこと。
 どれも、かつて邸宅の中で家庭教師からテキストベースで聞いたことのあるような内容のはずだった。
 なのに、スピーカーを通さない先生の生の声で聞くと、不思議なくらい新鮮に、特別なものに聞こえてしまう。

(私、本当に高校生になったんだ……)

 その輪郭が、説明を聞くごとに、少しずつ鮮明な実感となって新那の肌に染み込んでいく。
 窓から吹き込む四月の温かい春風が、白いカーテンを優しく揺らした。
 教室内には、配られたばかりの新品の教科書から漂う、インクと紙の匂いが満ちている。
 遠くの席から聞こえる誰かの小さな笑い声、ノートを捲る音、椅子を引く微かな摩擦音、そして先生の少し眠そうな声。
 そんな、何処にでもある何気ない「普通の学校の空気」が、今の新那にはたまらなく愛おしく、心地よかった。

「……ん」

 新那は誰にも気づかれないように、ふっと口元を緩めて微笑んだ。
 朝、家を出た時はどうなることかと思った。
 父親の狂気が形になったようなアールが現れて、ボディーガードとして付き纏われて、新那が望む「普通の高校生活」など最初の一秒で無理なのだと絶望した。
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