箱入り娘は無感情ボディーガードに護られたい
 初めて足を踏み入れた高校の校舎は、新那の想像を遥かに超えるスケールで広がっていた。

「ちょっと、広すぎない……?」

 思わず新那の口から、呆然とした呟きが漏れる。
 まだ学校全体の構造を把握していない新入生にとって、複雑に折れ曲がった廊下やいくつもある階段は、まるで巨大な迷宮のようだった。
 何処を向いても初めて見る景色ばかりで、油断すると自分が何階の何処にいるのかさえ分からなくなりそうだ。

「ねー!」

 隣を歩く莉子が、待ってましたとばかりに元気よく同意する。

「これ、絶対最初の一週間は迷子になる人続出だよ! 私なんて、明日の朝自分の教室に辿り着ける自信ないもん!」
「――その心配は不要です。当機、およびお嬢が迷走する確率はゼロ%です」

 二人の会話を後ろから綺麗に拾い上げ、アールがいつもの滑らかな美声でカットインしてきた。

「入学前に学園の設計図面、および3D構造データを全スキャンし、脳内メモリに完全同期しています。現在地は特別棟三階、東側連絡通路。ここから最短ルートで一年B組の教室へ戻るには、後方を反転し、徒歩で一分四十二秒を要します」
「……アール、そういう機能的な話を求めてるんじゃないの」
「あはは! 神条君ってば、本当に面白いね!」

 莉子がツボに入ったようにケラケラと笑う。

「面白さを意図した発言ではありません。客観的な事実の提示です」
「そこ! その大真面目な顔でボケるのが最高に面白いんだって!」

 アールは端正な眉ひとつ動かさず、理解不能と言いたげに僅かに首を傾げた。表情自体はガラス人形のように無機質なままなのに、その絶妙なズレっぷりのせいで、何となく彼が困惑しているように見えてくるから不思議だ。
 新那は口元を手で押さえ、必死に吹き出すのを堪えた。

(朝までは、本当に最悪な一日になるって絶望してたのに……)

 チラリと、自分のすぐ隣で楽しそうに笑う莉子を見る。
 そして、その一歩後ろで相変わらず直立不動のまま警戒を怠らない、自称ボディーガードの少年を見る。
 なんだかんだと言いながら、この三人で歩く夕暮れの廊下は、新那にとって驚くほど居心地が良く、そして少しだけ特別なものに思え始めていた。

「あっ、お次はこっち!」

 莉子が突如、廊下の真ん中でピタリと足を止めた。
 彼女の視線の先には、年季の入った木製のプレートに『音楽室』の文字。

「ちょっと中、入ってみようよ!」
「えっ、勝手に入って大丈夫かな……?」
「ちょっとだけ覗くだけだから! セーフセーフ!」

 まさに好奇心の塊。莉子は悪戯っぽく笑うと、新那の返事を待たずにガラガラとスライド式の扉を開けてしまった。
 新那は苦笑しつつも、その背中を追うようにして一歩足を踏み入れる。
 放課後の音楽室は、静寂そのものだった。
< 42 / 194 >

この作品をシェア

pagetop