箱入り娘は無感情ボディーガードに護られたい
アールが再びベッドの脇の椅子に腰掛けたのを確認すると、新那は毛布の温もりの中で、少しだけ安心したように小さく息を吐いた。
熱は依然として高いまま。頭の中はシチューでも煮込まれているようにドロドロとぼんやりしていて、正常な思考のフィルターが上手く機能していない。
だからだろうか。いつもなら胸の奥の引き出しに鍵をかけて仕舞い込んでいるような、誰にも話したことのない過去の記憶が、せきを切ったようにポロポロと口から零れそうになっていた。
「……ねぇ、アール」
鼻の上まで布団に深く埋もれながら、新那は掠れた声で呼ぶ。
「なんだ」
アールは、一瞬の遅延もなくすぐに答えた。
枕元から聞こえるその低くて静かな声に背中を押されるようにして、新那はぼんやりと視線を動かし、白い天井を見上げた。
「私ね……」
少しだけ、記憶の海を遡るような間が空く。
「昔は、もっと……普通だったんだよ」
「普通」
「うん、普通」
何の定義も持たない、あまりにも曖昧な言葉。けれど、今の新那にとっては、何よりも愛おしくて大切な響きを持つ言葉だった。
「今みたいな、ゲートを潜らないと入れないような大きな家じゃなくてね。雨の音が屋根にすぐ響くような、もっともっと、小さな家に住んでたの」
アールは何も言わなかった。遮ることも、その言葉の矛盾を指摘することもしない。
ただ、静かに座って、新那の言葉の断片をじっと聞き届けている。
その無言の肯定が、今の新那にはひどく心地良く、話しやすかった。
「パパもね……」
新那の乾燥した唇が、ほんの少しだけ懐かしそうに綻ぶ。
「今みたいに、分刻みのスケジュールであちこちを飛び回るような、そんな忙しい人じゃなかったんだ」
新那の幼い記憶の中にいる父親は、もっとずっと「父親」だった。
夕方の決まった時間には家にいて。
毎日、家族揃って同じ食卓で晩ご飯を食べて。
くだらないクイズ番組を一緒にテレビで見て、笑って。
休日になれば、近くのなんてことない普通の公園へ連れて行ってくれた。
そんな、何処にでもいる優しい父親だったのだ。
「仕事から帰ってくるとね、パパ、玄関で私を見つけて『ただいま』って、よく肩車してくれたんだ。目線が高くなって、世界が広くなったみたいで、それがすっごく嬉しくて……」
目を細めると、あの頃の父親の背中の温もりや、少しだけタバコとスーツの混ざった匂いまで蘇ってくる気がした。
今では、誰に自慢しても羨ましがられるような高級住宅街の、見上げるほど立派な邸宅に住んでいるというのに。
どうしてだろう、あの狭くて小さかった家の方が、父親との距離はずっと近かった気がするのだ。
「それから……パパの始めた事業が、大成功した」
ぽつり、と。おとぎ話の終わりを告げるように、新那は言った。
「成功」
「うん」
父親が立ち上げたという、精密機械か何かの会社。
詳しいシステムのことなんて、当時の子供だった新那には分かりようもなかった。
ただ、ある日を境に、自分の取り巻く生活の全てが、目まぐるしいスピードで変貌していったことだけは鮮明に覚えている。
熱は依然として高いまま。頭の中はシチューでも煮込まれているようにドロドロとぼんやりしていて、正常な思考のフィルターが上手く機能していない。
だからだろうか。いつもなら胸の奥の引き出しに鍵をかけて仕舞い込んでいるような、誰にも話したことのない過去の記憶が、せきを切ったようにポロポロと口から零れそうになっていた。
「……ねぇ、アール」
鼻の上まで布団に深く埋もれながら、新那は掠れた声で呼ぶ。
「なんだ」
アールは、一瞬の遅延もなくすぐに答えた。
枕元から聞こえるその低くて静かな声に背中を押されるようにして、新那はぼんやりと視線を動かし、白い天井を見上げた。
「私ね……」
少しだけ、記憶の海を遡るような間が空く。
「昔は、もっと……普通だったんだよ」
「普通」
「うん、普通」
何の定義も持たない、あまりにも曖昧な言葉。けれど、今の新那にとっては、何よりも愛おしくて大切な響きを持つ言葉だった。
「今みたいな、ゲートを潜らないと入れないような大きな家じゃなくてね。雨の音が屋根にすぐ響くような、もっともっと、小さな家に住んでたの」
アールは何も言わなかった。遮ることも、その言葉の矛盾を指摘することもしない。
ただ、静かに座って、新那の言葉の断片をじっと聞き届けている。
その無言の肯定が、今の新那にはひどく心地良く、話しやすかった。
「パパもね……」
新那の乾燥した唇が、ほんの少しだけ懐かしそうに綻ぶ。
「今みたいに、分刻みのスケジュールであちこちを飛び回るような、そんな忙しい人じゃなかったんだ」
新那の幼い記憶の中にいる父親は、もっとずっと「父親」だった。
夕方の決まった時間には家にいて。
毎日、家族揃って同じ食卓で晩ご飯を食べて。
くだらないクイズ番組を一緒にテレビで見て、笑って。
休日になれば、近くのなんてことない普通の公園へ連れて行ってくれた。
そんな、何処にでもいる優しい父親だったのだ。
「仕事から帰ってくるとね、パパ、玄関で私を見つけて『ただいま』って、よく肩車してくれたんだ。目線が高くなって、世界が広くなったみたいで、それがすっごく嬉しくて……」
目を細めると、あの頃の父親の背中の温もりや、少しだけタバコとスーツの混ざった匂いまで蘇ってくる気がした。
今では、誰に自慢しても羨ましがられるような高級住宅街の、見上げるほど立派な邸宅に住んでいるというのに。
どうしてだろう、あの狭くて小さかった家の方が、父親との距離はずっと近かった気がするのだ。
「それから……パパの始めた事業が、大成功した」
ぽつり、と。おとぎ話の終わりを告げるように、新那は言った。
「成功」
「うん」
父親が立ち上げたという、精密機械か何かの会社。
詳しいシステムのことなんて、当時の子供だった新那には分かりようもなかった。
ただ、ある日を境に、自分の取り巻く生活の全てが、目まぐるしいスピードで変貌していったことだけは鮮明に覚えている。