似た者同士の契約婚 ~結婚しないと宣言した日に出会った相手は、不眠の心臓外科医でした~
 その日以降、二人の間で『夜、時間が合えば一緒に食事をして、そのあと軽く身体を動かす』というのが日課になっていった。
 とはいっても、一緒に過ごせる夜は少ない。そんな日は美空が料理を作り置きしておいたり、互いにメモ書きでやり取りをするようになっていった。

『お疲れさまでした。お腹がすいてたら食べてくださいね』
『美味しかったよ。それにこの前やった肩のストレッチは良い感じだった。ありがとう』

 短いやり取りだったが、美空にとっては十分だった。
 美空が何かをした時、優斗は必ずと言っていいほど美空に「ありがとう」と伝えてくれる。
 洋介と付き合っていた頃は迷惑そうに扱われることが多かった美空にとって、その言葉は新鮮で、心がじんわりと温かくなるのだった。

(最近は上半身のストレッチを気に入ってくださってるから、次は……)

 どんな動きを紹介するか。どんな風に教えたら良いか。
 それを考えている時間は、美空にとって楽しいものだった。

(もう仕事では誰かに教えることもないけど、優斗さんとストレッチやヨガをしていると、まだ役に立てる気がして感謝しかないわ)

 異動が決まるまで、身体も指導も衰えないように自主的に訓練はしていたものの、やはり実際に人に指導できる機会があるというのはありがたいことだった。

(優斗さんは少し体重が右に傾いている気がするのよね。一緒にいる時は変な癖があるようには見えないから、お仕事のせいかな? 左右差を改善するような動きも取り入れたいな。食事ももっと好みを把握出来れば……本人に聞いても『何でも好き』しか言わないしなあ)

 そこまで考えて、ふと優斗の母の顔が思い浮かぶ。

(いっそお母様に聞いてみる? いやいや、一度しか会っていないのに失礼よね。歓迎されていないみたいだし)

 けれど、美空に『気負わないで』とアドバイスをくれたのだ。悪い人には思えなかった。

「一回連絡してみてもいいよね? 駄目なら諦めれば良いんだから」

 電話だと勇気がなかった美空は、最近の優斗の近況を添えた手紙を書き、優斗の実家へと送ったのだった。



 結婚生活はおおむね順調な一方で、肝心な仕事はまったく順調ではなかった。
 相変わらず受付の仕事のみだったし、シフトは不安定。その上、異動の話が全く進んでいなかった。

(おかしい。異動願を出せば三週間以内に本部役員との面談が行われるはずなのに、一向に音沙汰がない……)

 マネージャーは複雑な顔をしつつも確かに書類を受け取ってくれた。
 それなのに一ヶ月を過ぎても面談の日程調整の話はない。

(一度マネージャーに聞いてみるしかなさそうね)

 そう思うものの、最近はなぜか洋介とシフトが被ることが多く、マネージャーにすら遠巻きに見られているため話しかけることもままならない。

(今日も洋介いるし……最悪)

 最近は話しかけられないだけマシだが、じっと睨み付けられながら受付業務をするのは中々に不快だった。
 こちらも完全無視を決め込んで、なにもしないでいるしかない。



< 31 / 66 >

この作品をシェア

pagetop