サイコ医局長の検体
「荻窪先生、お疲れ様です。課長だなんて滅相もありません。」
表情もなく、手を振って『滅相もない』様を表現する亜月。
謙遜などではなく、自分が『課長』と呼ばれるなど、本気でおこがましいと思っていた。
「あはは。俺なんてまだ新人なんですから。役職くらい付けさせて下さいよ。」
「いえいえ、医療を学んでこられた方々に、そのように呼ばれるのはなんとも歯がゆいです。」
「院長の娘さんともあろう方が、本当に貫課長は謙虚ですよね。」
黒縁メガネの奥には、なんの嫌味もない笑顔が張り付いている。
恐らくこの人は本気で自分のことを『謙虚』だと思っているのだろう。
医療系の家系で育った亜月は、自分だけ医療関係に進むことができず、すぐに悲観に陥りやすいタイプだ。
しかし荻窪は、院内でも珍しい裏表のない医師。
きっと自分のことを『落ちこぼれ』などとは本気で思っていないだろう。
彼を疑わない亜月は、素直に「ありがとうございます。」と伝えた。
「ええと、それはそうと貫課長。今週末、脳神経外科の医局会があるんですよ。よかったら来ませんか?」
荻窪が緊張の面持ちで誘えば、背後から彼の肩を組む人物が現れる。
「貫アヅちゃあん! 俺専用聴診器を新調してほしいんだけど、発注しといてくんない?!」
亜月の前に現れたもう一人の医師は、循環器内科所属の吾妻浩33歳だ。
アッシュグレーの短髪に、ガタイのいい身体つき。白衣姿がなんとも似合わない。
彼が聴診器を買い替えるのは、亜月が知っているだけでも4度目である。
「あ、吾妻先生?!」
「脳神経の新人君! 君んとこの医局、かわいい秘書ちゃんいる?」
「え? えっと、皆さんとてもかわいらしい方ばかりですよ。」
「ほんとぉ? なら俺、脳神経の医局会行っちゃおっかなあ〜。ねえ荻窪君、連絡先教えて?」
吾妻がスマホを出し、荻窪に連絡先の交換を強要する。
タジタジの荻窪を尻目に、亜月は真顔で吾妻に言った。