サイコ医局長の検体
「十三郷先生! いないんですか?! お願いです! 助けてください!!」
藤沢が助けを求めれば、部屋の中から微かに声が聞こえた。
研究室からは罵倒が響いてくる。
急がなければと、藤沢が返事のないままドアを開けようとする。
すると彼女が開けるよりも早く、バンッと勢いよくドアが開かれた。
「藤沢さんうるさいですよ。ドアは3度叩けばそれで十分です。土日に丸2日開催される法人マナー研修にぶち込まれたいんですか?」
出てきたのは、色素の薄い男だった。
ベージュに近い髪色に、細目の下三白眼。常に睨んでいるような鋭さでありながら、口元だけは柔和に微笑んでいる。
不気味でいて妖艶。190センチもの長身が病理的な狂気を、より一層うかがわせていた。
「す、すみませんすみません! でも、その……教授の奥さんが……」
医局秘書として雇われたばかりの藤沢は、まだ24歳であった。
対し、31歳の医局長、十三郷遊欺は、神の手を持つと言われる、国内でも数少ない名医。
狭心症や心筋梗塞などの治療法として、国内で初めて右胃大網動脈を用いた冠動脈バイパス術を成功させた人物として知られていた。
そのため、まだ新人の藤沢は、十三郷を前にすると、緊張のあまり萎縮し、言いたいことがはっきりと言えなくなってしまう。
研究室に帰れば女豹同士の争いが、そして目の前には十三郷という存在に、どう対処していいかわからない。
「教授の奥さんって井原由莉さんのことですよね。あの気弱で陰キャな旦那に対し、海外旅行でエステばっか行ってる陽キャな奥さんが乗り込んできたってわけですよね?」
「そ、そうなんですそうなんです!」
「大丈夫ですよ。すでに内線で彼女を呼んでいますから。」
「へ? 誰です?」
すると、藤沢の後ろの廊下を、一人の女性が早歩きで歩いていく。
気配に気付いた藤沢は、思わず廊下に顔を出した。
黒髪を一つに結んだ、スーツ姿の女性が研究室へと入っていく。
「……ええと、今の、誰です?」
藤沢が、背後の十三郷を見上げた。
シャツのボタンを2つ開けた十三郷が、大きな手で指を差し、藤沢に言った。